②トピックス 08 気象と軍事
気象情報も戦時は重要な軍事機密
仕事に赴くにしても、行楽等で外出するにしても、天候は私達の生活に様々な影響を及ぼすことから、前日の天気予報チェックを欠かさない(欠かせない)人が多いことと思います。このように私達に身近な気象情報も、戦時中は交戦国の作戦や運用に深く関わっていたことから、重要な軍事機密として扱われていました。
~ 近代技術の粋を集めても、お天道様にはかなわない ~
少々の荒天でも構わずに行軍・航行しなければならない陸軍や海軍(ただし艦船部隊)とは異なり、航空機の運用を主軸に据える空軍は気象情報をとても気にします。第2次世界大戦は、その航空機が戦闘において大きな役割を果たすようになった最初の戦争であり、各国とも気象情報の収集に力を注ぎました。
現在の航空機の大半は「全天候昼夜間対応」が当たり前ですが、第2次世界大戦に投入された軍用機には十分な航法支援装置や操縦補助装置等が備わっておらず、気象状況、特に悪天候は作戦行動を大きく制限しました。荒天時は、爆弾や燃料を満載した作戦機の離着陸が困難となり、事故が発生するリスクがグンと高くなりました。無事に離陸できても、編隊を組んで飛行するためには雲の上まで高度を上げなければならず、時間も燃料も普段以上に消費することになります。また、爆撃目標の上空に至るまでは太陽や星座の位置を観測する航法が使えますが、目標地域が悪天候であれば正確な爆撃は困難です。このため、悪天候が予測される場合は、空軍による爆撃作戦が中止される蓋然性が高くなりました。
~ 「晴耕雨読」ならぬ「晴戦雨検」 ~
1943年以降の欧州戦域では、英国本土の基地を飛び立った米陸軍航空隊や英空軍の重爆撃機部隊がドイツ本土の各地に激しい爆撃を加えていました。これら連合軍の爆撃機部隊に対して、ドイツ空軍の戦闘機部隊は連日のように迎撃に飛び立っていました。しかし、ドイツ空軍は東部戦線(対ソ連軍)やイタリア半島戦域(対米英軍)などにも対応しなければならず、本土防空に振り向けられる戦力にも限界がありました。このため、ドイツ空軍の防空部隊は、昼夜の区別なく飛来する米英軍の爆撃機部隊に対してフル回転で対応していました。
その一方で、ドイツ空軍の防空部隊は、作戦機の稼働率を維持するためには、出撃の合間を縫って機体の点検・整備を行う必要がありました。戦場において過酷な運用をせざるを得ない戦闘機については、一定の飛行時間ごとに機体を分解して入念なメンテナンスを行う必要がありますが、当該戦闘機はその間、迎撃戦闘に参加することは出来ません。そこでドイツ空軍の防空司令部は、連合軍の爆撃作戦が中止される可能性が高い日を予測するため、気象情報の収集に力を入れました。
~ 気象情報を制する者は戦争を制する ~
ドイツ軍が確度の高い気象予測をするためには、偏西風の関係から、米大陸や北大西洋上の気象状況を把握する必要がありました。しかし、戦時下の連合国は気象情報の利用、報道等を厳重に規制していたので、ドイツ軍側が当該地域・海域の気象状況を知ることは出来ませんでした。このため、ドイツ軍は自前で大西洋上の気象状況を把握するために気象観測船等を派遣する必要がありましたが、同海域の制海権は連合軍側が握っていたことから、それもかないませんでした。大西洋上で哨戒活動中の潜水艦(Uボート)に気象観測をさせる手もありましたが、米英海軍等による「潜水艦狩り」が強化されつつある状況下では極めて難しいオペレーションでした。Uボートが大西洋上から気象データを送信すれば、連合軍側の電波発信源探査システムに感知されて、当該潜水艦の所在位置を暴露することになってしまうからです。
そこでドイツ軍は、グリーンランド(デンマーク領)沿岸部に気象観測部隊を潜入させ、気象データを送信させることにしました。この試みは、最初のうちは順調でしたが、やがて不審な電波の発信に気付いた米英軍が当該電波の発信源を特定し、ドイツ軍の気象観測部隊を急襲しました。一面の雪原が拡がるグリーンランドでは、ドイツ軍の気象観測隊員は身を潜めることも出来ずに壊滅させられました。かくして、気象情報獲得を巡る戦いに敗れたドイツ軍は、最後まで米英軍の爆撃作戦計画を予測することが出来ず、苦戦を強いられることになりました。
私たちが毎日当たり前のように利用している天気予報も、戦時においては作戦の成否を左右しかねない極めて重要な情報でした。