③「2時間で卒業できる『士官学校』」 バックナンバー

 

2019.2.4 

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第36号

◎「士官学校」入校準備講座 

- 「血を金で買えるなら安いもの」後編 - 

このような状況で米海軍は、日本本土近海に戦艦部隊を進出させて製鉄所や軍需工場等に対して艦砲射撃を実施しました。その攻撃対象は室蘭、釜石、日立などでしたが、40センチ砲のつるべ打ちにより、それら諸都市の生産施設は壊滅しました。 

戦艦部隊の攻撃目標となった諸都市は北関東以北に多かったのですが、これはB-29による爆撃を補うという戦略的な狙いがあったものと思料されます。マリアナ諸島を発進するB-29は、その機体に離陸可能ギリギリの爆弾と燃料を搭載することから、北日本地域を爆撃するためには、爆弾を減らしてより多くの燃料を搭載する必要がありました。このような事情から、それら北関東以北の諸都市はB-29による爆撃目標から外されていました。 

艦砲射撃による攻撃では、目標に対して戦艦等の主砲弾を大量かつ正確に撃ち込むことができました。一方で、B-29がマリアナ諸島から長時間かけて運び、当時最先端の爆撃用照準器を用いて投下した爆弾の一部は、爆撃目標以外の田畑山林等に落下して農耕地開拓に「寄与」していました。これに対して艦砲射撃では、艦橋や観測機からの目視によって着弾の修正を行うことで、極めて効率よく目標を破壊することができました。更に、日本本土への艦砲射撃は本土上陸作戦を控える戦艦等の乗組員を訓練する機会にもなりました。 

総じて、B-29による爆撃にしても戦艦部隊による艦砲射撃にしても、いずれも膨大なコストを強いるものでした。しかしながら米国政府・軍当局幹部達は「市民社会から預かった大事な米国の若者が戦死するのを、猛烈な爆撃や艦砲射撃で減らせるのであれば、米国の納税者も納得してくれるだろう」と、莫大な当該戦費を全く気にかけていなかったそうです。 


2019.1.28

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第35号

◎「士官学校」入校準備講座

- 「血を金で買えるなら安いもの」前編 -

太平洋戦域で日本軍の粘り強い抵抗に苦慮していた米軍としては、太平洋各地や中国大陸で抵抗を続ける日本軍の戦闘力を削ぐため、日本本土から前線への補給を遮断する必要がありました。このため米軍は「①日本本土と前線を結ぶ輸送ルートを遮断する、②日本本土の生産拠点を破壊する」という方針を設定、推進しました。

前者については、潜水艦や長距離爆撃機によって日本軍の輸送船団への攻撃を徹底した結果、日本軍の前線に届く兵員、物資等は激減しました。後者については、1944年11月以降、マリアナ諸島を根拠地とするB-29によって本土空襲を本格化させたことにより、日本本土の主要都市及び地方都市の大半が壊滅的な打撃を受けました。

1945年に入ると日本本土侵攻作戦が視野に入ってきましたが、硫黄島や沖縄などで日本軍が見せた死に物狂いの抵抗と、それに伴う米軍側の甚大な損害が大きな問題として浮上してきました。「日本本土侵攻作戦の前に、日本の生産力を出来る限り破壊しておく必要がある」との認識が米国の戦争指導者達の間で強く共有されるようになりました。

一方、沖縄戦が終了した時点で、昼夜を分かたぬ防空戦と特攻作戦等で著しく損耗した日本軍航空部隊は、本土決戦に備えて航空機と兵員等を温存せざるを得ない状況に至りました。このため、1945年6月頃からは、B-29等の米軍機が来襲した場合でも日本軍の戦闘機が迎撃することは殆ど無くなりました。 


◎宗教問題 ~ 米空軍

思想信条の自由の尊重を国是とする米国では、軍人と宗教の関わりについても同原則が堅持されています。しかし、米4軍の中で米空軍に関しては、外部団体から「特定の宗教(キリスト教)を特別扱いしているのではないか」と指摘、批判される頻度が高い状態が続いています。

具体的としては、「将校が部下将兵に対し、基地内の教会での行事への参加を促した」旨の内部通報により、外部団体が国防総省や連邦議会に調査を求める事案が都度報告されています。退職者の送別会において、特定の宗派の儀式を行おうとした同僚の兵士が会場から退去させられた旨の報道も散見されます。

米空軍の歌には「・・・God only knew!」というフレーズがあります。空軍基地内にはキリスト教系各宗派別の教会が建てられており、従軍牧師の制度も整備されています。

米空軍士官学校(コロラドスプリングス)のキャンパスには、同校のシンボルである荘厳なチャペルが建てられています(現在は大規模改修中)。国防総省・米空軍の高級幹部が同校を視察しようとした際、沿道には「特定の宗教への優遇反対」という横断幕が掲げられたこともありました。

米空軍は、宗教問題という「乱気流」に翻弄されながらロシア、中国等との競争に挑んでいます。


2019.1.21

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第34号

◎「士官学校」入校準備講座

- 「本流はやがて大海に注ぐ」後編 -

さて開戦後は、太平洋戦域においては空母機動部隊と潜水艦が大きな役割を果たすこととなりました。このため、航空優勢を失った日本海軍の戦艦部隊は、前線から遥か後方において訓練に励むしかなす術がありませんでした。

後知恵ながら、日本海軍としてはこの際、海軍戦力の抜本的再編を図るべく戦艦等の大半を他艦種(正規空母、護衛空母等)に切り替え、これによって生じた余剰人員を航空部隊や対潜水艦作戦部隊に振り向けるべきでした。

しかしながら、主流派である砲術畑=艦隊決戦派は「日本海海戦の栄光をもう一度」という夢を固守して、「大和」以下の戦艦群を温存し続けました。そして、これら虎の子の戦艦部隊は、レイテ沖海戦等において米海軍機動部隊により完膚なきまでに壊滅させられてしまいました。

一方の米海軍は、真珠湾奇襲で打撃を被った旧式戦艦を修復して上陸作戦時の艦砲射撃に特化した運用を行うとともに、新鋭の高速戦艦には空母機動部隊の護衛という任務を付与することで戦艦部隊の有効活用に努めていました。

日本海軍は、砲術畑という主流・本流派を組織中枢に戴きながら、時代状況の変化に適切に対応することが出来ずに壊滅しました。河川の本流・主流は支流を集めて、やがて大海に注ぎます。しかしながら日本海軍の主流派は、その領導すべき巨大組織を新しい大海原に導くことが出来ませんでした。


2019.1.14

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第33号

◎「士官学校」入校準備講座

- 「本流はやがて大海に注ぐ」中編 -

しかし、世界の海軍ビック3(英米日)は依然として所謂「大艦巨砲主義」から転換することはなく、かえって国力が傾きかねないまでに建艦競争に血道を上げていきました。このような過当競争に疲弊した各国は、財政上の限界もあり、軍備管理条約(ワシントン条約(1922年)、ロンドン条約(1930年))によって海軍力等のシーリングを設定しました。

第1次世界大戦の実相や航空機、潜水艦に係る技術開発の進捗などから、海軍戦力における航空部隊や潜水艦の役割が増大するであろうことは一部の軍人達には認識されつつありました。しかしながら、実戦において航空部隊が水上艦隊の主力である戦艦等の大型艦船を撃破するという実績は皆無でした。このような状況下では、砲術畑が幅を利かせる日本海軍の中枢部において「砲戦で決着をつける」という従来の大方針を転換する発想は起こり得ませんでした。

その一方で、日本海軍内には「このままボサっとしていたら、有事には米英の合同艦隊が3倍強の戦力で日本本土に押し寄せてくる」という危機感がありました。日本海軍が保有できる艦船については、前出の海軍の軍備管理条約によって対英米比で低く抑えられていました(主力艦:英5、米5、日3)ので、その焦燥感は極めて深刻なものでした。このため、日本海軍としては当該劣勢を何らかの手段・方法によって補う必要がありました。

そこで海軍首脳が着目したのが軍備管理条約の規制対象外である航空部隊、とりわけ陸上攻撃機部隊でした。航空基地を拠点とする陸上攻撃機部隊に太平洋を西進してくる米艦隊を索敵、雷爆撃させて、艦隊決戦前に少しでも米艦隊にダメージを与えておきたい、というのが日本海軍の願望でした。この結果、一式陸上攻撃機等、他国の軍隊では類例をみないユニークな航空機が次々と開発されました(他国においては、陸軍航空部隊や空軍の中型爆撃機を雷撃機に転用していました。)。


◎米空軍 ~ 飛行隊数増加に舵

米空軍は、冷戦終結以降減り続けている飛行隊数を増加させる方針を打ち出しています。米空軍長官と米空軍参謀総長は「戦闘機、爆撃機、輸送機、空中給油機など、具体的にどの飛行隊をどの程度増やすかは現在検討中」とコメントしています。

この中で注目されるのが空中給油機部隊の増勢規模です。華やかなイメージのある戦闘機や爆撃機も、空中給油機から燃料の補給を受けることが出来なければグローバルな規模での展開は不可能です。

その空中給油機に関しては、新型のKC-46Aの開発・製造が最終段階に入っています。開発中に見つかった不具合箇所の改善や連邦航空局の安全確認認証取得に手間取り、納入スケジュールが何度も変更されています。

ボーイング社は、開発・製造に関して米空軍との間で「開発・製造コスト固定制度」で契約しています。不具合箇所の改善等に要する費用は全額同社負担となっていますが、同社は米空軍向けの179機納入及び同盟国・友好国への売込みで挽回を図りたいとしています。


2019.1.7  

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第32号 

◎「士官学校」入校準備講座 

- 「本流はやがて大海に注ぐ」前編 - 

多くの組織には出世コースと呼ばれる部門・ポストがあり、将来の幹部として期待される候補者が着々とその任に就いていきます。日本の中央官庁コミュニティ(霞が関)では「○○官僚にあらざれば官僚にあらず」「□□官僚にあらざれば○○官僚にあらず」と囁かれており、官僚機構内の厳然たるヒエラルキーが垣間見られます。 

日本海軍における主流派は、所謂「砲術畑」と呼ばれる職種の海軍士官達でした。艦隊決戦においては、海上を高速で移動しながら艦砲を撃ち合うので、敵艦船に対してより正確に砲弾を命中させる技術・能力が艦隊の死命を決しました。 

海軍には砲術の他、航海、水雷(魚雷)、通信、機関、主計などの職種があり、これらが有機的に結合して艦船としての運用が図られていました。艦内に必要な物資が過不足なく揃い、エンジンが故障なく稼働し、上下左右の友軍とも適切に連絡を取りながら順調に航海出来たとしても、敵弾が自艦に命中する前に敵艦船に命中弾を叩き込むことができなければジ・エンドです。 

砲術担当士官は、艦隊決戦という大事において、艦船の全乗組員が日頃積み上げてきた努力の成果を一身に担って砲戦を仕切る花形であり、今日のアイドルグループで言えば「センター」でした。このため、砲術士官には海軍兵学校での成績(所謂「ハンモックナンバー」)が上位の者が補職されることが多かったと伝えられています。 

高度な計算技術等の科学的知見に加えて、極限状態でも沈着冷静な判断、行動が出来る精神的強靭さを求められるポストでした。この結果、日本海軍の中枢にはこの砲術畑の士官が多く登用されることになりました。先の世界大戦において連合艦隊司令長官を務めた山本五十六提督も砲術畑の出身でした。その一方で、第1次世界大戦以降、海戦の様相は艦隊同士の砲撃戦から次第に航空戦及び潜水艦戦へと移行していきました。


2018.12.24

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第31号

◎「士官学校」入校準備講座

- 「『浮かべる城』か『不沈艦』か」後編 -

これに対して米海軍は、終始一貫、太平洋艦隊の司令部をハワイに置き続けました。陸上にある司令部は「不沈艦」ですから、開戦劈頭のような奇襲さえ許さなければ、敵からの攻撃によってその機能を失う心配はありませんでした。ニミッツ大将が艦隊司令官や高級参謀と直接話をする必要がある場合でも、陸軍航空隊のB-17や海軍の飛行艇などを利用すれば、直ちに彼らをハワイへ呼び寄せることができました。ニミッツ提督は司令官就任の期間中、人員・資機材ともに充実・安定した環境下で全艦隊の指揮を執ることが出来ました。

一方で、「指揮官先頭」という伝統に拘泥した日本海軍では、現場での指揮についても齟齬を生じていました。レイテ沖海戦(捷一号作戦)では、主力となる第2艦隊(戦艦「大和」他)の旗艦には重巡洋艦「愛宕」が充てられましたが、司令官の栗田中将は通信設備が充実した戦艦「大和」での艦隊指揮を希望していたと伝えられています。海戦では「愛宕」が米潜水艦による雷撃で撃沈され、旗艦は「大和」に移されましたが、「愛宕」に配置された通信機能(通信員、資機材等)を完全に「大和」に移乗させることは出来ませんでした。

戦艦「大和」以下の主力艦隊がレイテ湾に突入するためには、囮部隊となった小沢艦隊が計画通りにハルゼー提督の米機動部隊を北方におびき寄せていることが必須要件でした。栗田艦隊としては、レイテ湾への突入を決心するため、小沢艦隊からの打電によって当該囮作戦の成否について確認する必要がありました。しかしながら、結局は両艦隊の間の通信が適切に維持されることはなく、栗田艦隊は突入を断念して北方へ変針したとされています。

艦隊の頭脳が陣取る司令部が「浮かべる城」か「不沈艦」かの差が、太平洋戦域の勝敗に少なからず影響したものと思料されます。 


2018.12.17 

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第30号 

◎「士官学校」入校準備講座 

- 「『浮かべる城』か『不沈艦』か」前編 - 

日本海軍の「軍艦行進曲」では、海軍のシンボルである軍艦を「・・・浮かべる城ぞ頼みなる・・・♪」と表現しています。また各国海軍は、最新鋭艦を「不沈艦」としてそのパワーを誇示してきました。いずれにしても、各国海軍にとって主力艦(戦艦等)は大事な存在であり、艦隊の核としての働きが期待されていました。 

日本海軍の艦隊運用においては、司令官は主力艦に座乗して全艦隊を指揮するのが通例となっていました。日露戦争の日本海海戦においては、東郷平八郎連合艦隊司令長官が全艦隊の先頭に立つ旗艦「三笠」に座乗して指揮を執り、歴史的大勝利を収めました。この「指揮官先頭」の精神はその後の日本海軍にも連綿と受け継がれ、先の大戦でも各級艦隊の司令官は単縦陣の先頭艦に乗り込んで指揮を執りました。 

日露戦争以降、世界第3位の規模に成長した日本海軍において、連合艦隊司令部は主力艦隊を含む多種多様な組織をコントロールすべき立場にありました。司令部と各地・各海域に展開する隷下艦隊等の連絡には主に無線を用いたことから、連合艦隊司令部が置かれる旗艦には参謀等の司令部要員及び通信設備を収容出来る十分なスペースが必要でした。このため、連合艦隊の旗艦にはその時々の主力戦艦が充てられてきました。 

先の大戦において、超弩級戦艦の「大和」「武蔵」が連合艦隊の旗艦としてトラック環礁に在泊し、南太平洋海域での作戦指揮を執っていたことは有名です。しかし、戦争後半には同環礁が米軍の航空攻撃圏内に入ってしまい、連合艦隊司令部はパラオに移転を余儀なくされました。「浮かべる城」「不沈艦」といえども、航空機の出現によって安穏とはしていられなくなっていました。 

 

◎米軍協力者保護

米国は、イラクやアフガニスタン等において通訳等として米国政府・軍当局に協力した人々とその家族の保護について難儀しています。米国政府や米軍が現地で活動する際、言葉の壁を乗り越えるために協力した現地の人々は、抵抗勢力側からすると「敵(米軍等)に協力した裏切り者」となります。通訳として雇われていたある人物は、「米軍との契約終了後、反政府系の勢力から度々脅迫を受け、身の危険を感じて家族全員が身を隠していた」と語っています。

このような危険な状況に置かれている協力者とその家族を保護するため、米国政府は「No one left behind.」プロジェクトを推進しています。具体的には、身辺チェックを了した元協力者等について順次米国への移住を認めています。しかし、当該移住受入者数には年間で一定の枠があり、イラク等では現在も数万人が米国への移住を待っています。

米国に移住出来た人々への支援も充実しつつあります。同プログラムが始まった当初、スーツケース数個だけで米国に逃れてきた人々は、誰の支援も受けることが出来ず、米国の空港内を彷徨していました。この様子が報じられると、退役軍人らを中心とした人々が協力者家族の支援に乗り出しました。住居探し、家具等の生活用品の提供など、米国での協力者家族の生活を支える活動が続いています。 


2018.12.10

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第29号

◎「士官学校」入校準備講座

- 「翼をください」後編 -

政府による軍部へのグリップがしっかりしていた英国では、空軍の創設とともに3軍の統合運用も推進され、その後の英軍の基本スタイルが確立されました。

一方のドイツでは、ゲーリングが「空を飛ぶものはすべて私の指揮下にある」と称して、空軍への過度の権限集中を進めました。この結果、ドイツ海軍の艦載機(偵察・連絡用)を運用する操縦員及び整備員は全てドイツ空軍に所属することになりました。

更に、大西洋上に展開する連合国側の艦隊や輸送船団の動向を監視する長距離偵察・哨戒機についてもドイツ空軍が所管することになりました。U-ボート部隊が連合国側の輸送船団を効果的に攻撃するためには、これら長距離哨戒機からのタイムリーな情報提供が極めて重要でした。

しかしながら、ドイツ空軍からドイツ海軍への情報提供が円滑に行われることはありませんでした。当該通報システムは「ドイツ空軍の哨戒機 → ドイツ空軍の基地 → ドイツ空軍の司令部 → ドイツ海軍の司令部 → ドイツ海軍の潜水艦司令部 → 哨戒中のU-ボート」という冗長なものだったからです。

長距離哨戒機の搭乗員が洋上飛行に不慣れであったこともあり、船団の位置情報を誤って送信してしまうことも多々あり、情報を得たU-ボート部隊(所謂「ウルフパック = 狼群」)が駆けつけても、洋上には連合国の輸送船団の影すらありませんでした。

空軍創設の動きは、戦局が相当程度厳しくなってきた時期の旧日本軍にもありました。本土決戦を強く意識していた陸軍の一部が積極的であったものの、海軍が最終的に当該方針に乗らなかったことから航空部隊の統合は頓挫したと伝えられています。

しかしながら、戦闘の現場では、洋上飛行に不慣れな陸軍の爆撃機部隊と海軍の陸上攻撃機部隊が合同で訓練を行い、最終的には混成チームの形で実戦投入されるなど、共通の敵(米軍)を前に航空部隊の統合運用は先行していました。

因みに米軍においては、1947年に陸軍航空部隊( Army Air Forces )が正式に空軍( United States Air Force )として独立しています。


2018.12.3

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第28号

◎「士官学校」入校準備講座

- 「翼をください」前編 -

「翼をください」は1970年代のフォークグループ「赤い鳥」が歌い、サッカー日本代表のW杯初出場を願って多くの日本人が合唱した名曲です。「ジョホールバルの奇跡」とともに、私達に爽やかな感動を運んでくれました。

この「翼をください」という願いは、第2次世界大戦前にも各国の軍関係者の間で切実に共有されていました。その情熱は、しかしながら、爽やかな願い事とは程遠いものでした。

飛行機は、20世紀初頭のライト兄弟による初飛行(1903年12月)から十数年しか経たない第1次世界大戦において、戦車や潜水艦などとともに近代戦の中核的兵器として活躍し始めました。それまでの陸上及び海上の戦闘は、基本的に2次元の世界で展開されていましたが、航空機は3次元空間を自由に機動して、敵地上軍・水上艦隊の状況をつぶさに観察するとともに、やがては頭上から銃弾や爆弾を降らせるようになりました。

航空機の持つ機動力、航続力、攻撃力等は、やがて地上軍及び水上艦隊に重大な脅威となりました。陸軍は航空部隊を創設し、偵察、爆撃、輸送及び防空等のために軍用機を開発・投入し、海軍も同様に艦載の偵察機や陸上型の長距離偵察・攻撃機等を配備していきました。

軍用機が地上部隊や艦隊の頭の上を飛び回っている間は、陸海軍の間で縄張り争いが生じることはありませんでした。しかし、軍用機の性能が向上するにつれてその運用の幅も広がり、作戦空域や攻撃目標等が重なるケースが増大してきました。

この場合、第1の解決策は「統合運用」ですが、有史以来全く違うシーンで戦ってきた陸海軍の司令官や参謀達を同じテーブルに座らせて戦略・戦術を立案させるのは容易ではありませんでした。陸軍、海軍ともにそれぞれ独自の戦い方があり、出来る限り運用上の自由度を確保しながら戦いたいというのが本音でした。

財政当局からすれば、軍事予算の効率的使用の観点からも、作戦用航空機の運用の一元化も視野に入れた編成・運用の見直しを求めるようになりました。このような状況下で、航空兵力を陸海軍どちらの主管にするかを巡って激しい争奪戦が起こり、英国では喧嘩両成敗の観点等から、ドイツでは時の権力構造(空軍トップのH.ゲーリングがナチス政権のナンバー2)の影響等から、新たに空軍が創設されました。


◎米海軍 ~ 米海軍将兵の長期間洋上勤務

米海軍は自国及び同盟国・友好国の国益等を防護するため、その艦隊を世界各地に哨戒派遣しています。加えて、アフガニスタン等でのゲリ・コマ対策のために1個空母打撃群を中東海域に張り付けています。

これら哨戒・実働任務に派遣される艦隊は半年以上の長期間、米本土を離れて洋上で24時間勤務態勢を維持することになります。その間は家族と離れて生活することになりますので、米海軍の運用当局としては、艦隊勤務者の「洋上勤務期間」と「米本土での訓練、艦船等整備、休養」のバランスの維持に細心の注意を払っています。

直近では、「Dynamic force employment」方針に基づいて空母打撃群を約3ヶ月間の哨戒任務の後に帰投させています。米海軍は当該措置について「従来のローテーションにとらわれることなく、艦隊のアジリティ(強靱さ)と行動予測困難化を図ったもの」と説明しています。

一方で、限られた艦船で洋上でのプレゼンスを維持するためには、場合によっては休養期間を短縮して艦隊を派出しなければなりません。このため、米海軍は基準より長期間に及ぶ洋上勤務を希望する将兵について、特例として継続的な乗艦勤務を認めることにしました。志願した将兵は、所謂「Cross deck」として、母港に帰還後、通常より短い休養、陸上勤務を経て、新たに哨戒任務に出る艦船に乗り込むことになります。


2018.11.26

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第27号

◎「士官学校」入校準備講座

- 精神主義 VS 合理主義(後編) -

艦艇の居住環境についても日本と欧米では大きな違いがありました。世界中に植民地を有していた欧米各国の艦艇は、本国と植民地との間を行き来するために長期間の航海を行う必要がありました。このため、乗組員が長期間に亘る航海で疲弊しないように、居住スペースや娯楽施設などについても最大限の配慮がなされていました。

これに対して日本海軍の場合、予算や海軍軍縮条約の制限から、艦艇については兵装の搭載、配置が最優先に考慮され、乗組員の居住環境は二の次とされていました。日本海軍の戦略が「太平洋を西進してくる米艦隊を迎え撃つ」という、「日本海海戦の栄光をもう一度」というものであったことから、長期間の作戦行動を想定する必要がなかったことも、艦艇の居住性を軽視する傾向を助長したのかもしれません。この結果、日本海軍の艦船を見学した欧米各国の海軍軍人達からは「日本海軍の艦船はまるで『狼の城』だね」と評されることになりました。

勿論、日本軍においても精神主義一辺倒の方針に反発する勢力は存在しました。大戦末期に特攻作戦の方針に異を唱え、夜襲戦法を終戦まで貫徹した海軍航空部隊も存在していました。フィリピンのルソン島では、米軍部隊を少しでも長く同地に釘付けにするために、陸軍の山下奉文大将は玉砕戦法を厳禁し、多数の餓死者や戦病死者が出ることも覚悟の上で持久戦の徹底を厳命しました。

戦艦大和を中心とする所謂「沖縄水上『特攻』」を実施するにあたって、本土決戦用の緊急物資を大陸から輸送する船団の護衛に就く艦船の燃料を大和以下の突入部隊に転用すべき旨が下令されました。この際、海上護衛隊司令官は、当該方針を策定した海軍軍令部の参謀(兵学校同期)と電話で口角泡を飛ばす激論を交わしたそうです。旧日本軍が劣位にあったのは、単に物量だけではなく、徒に精神主義に溺れることのない聡明な軍人の数だったのかもしれません。


◎米陸軍 ~ 若者の肥満、体力低下という新たな脅威

米陸軍は現在、新たな人材の確保に苦戦しています。トランプ政権が米軍再建に着手して以降、米陸軍の定員枠は着実に拡がっていますが、毎年5万名規模の若者を新規に採用することは容易ではありません。

現代の若者はネットワークゲームなどに使う時間が大幅に増えており、屋外で身体を動かす機会が減っています。このため、採用適齢期の若者世代の体力が低下していることが各種の調査から判明しています。せっかく入隊させたものの、新兵教育訓練に付いていけずに脱落されてしまっては、苦労してリクルートした募集担当官の労苦も水の泡です。

米陸軍にとって、もう一つの「サイバー戦」も深刻な課題のようです。


2018.11.19

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第26号

◎「士官学校」入校準備講座

- 精神主義 VS 合理主義(前編) -

第2次世界大戦の太平洋戦域で戦った日本軍と米軍においては、軍当局が各将兵に求める負荷の軽重に大きな違いがありました。日本軍の場合、糧食等より武器・弾薬等の輸送を優先したため、特に前線では慢性的にメシが不足していました。軍歌「歩兵の本領」では「・・・携行糧食あるならば・・・散兵線に秩序あり・・・♪」と誇らしげに謳われていました。

これに対して米軍は、前線の将兵にいかに温かい食事をとらせるかに腐心していました。勿論、最前線で激しい戦闘が続く中では、所謂「Cレーション(戦闘糧食)」と言われる缶詰タイプの食事が配られていましたが、これについても徒に長期化しないように配慮されていました。ある日本海軍の参謀は回想で「日本軍の将兵は粗食に耐えて敢闘しているのに、捕虜にした米兵達からは『半日もコーヒーやチョコレートの支給が途切れたら、そりゃヤル気が失せるぜ』とのコメントがボロボロ出てくる。なんでこんな奴ら(米軍)に圧倒されてしまったのだろうか。」と当時の心境を綴っています。

将兵の休息についても日米で大きな差がありました。硫黄島のように孤立した島嶼の場合、日本軍では将兵に満足な休息は与えられず、切れ目なく戦うことを余儀なくされました。対する米軍は、戦闘に従事した翌日は他の部隊と交代し、後方へ下がって一日休養することが出来ました。海水を汲み上げて作った仮設のプールではしゃぐ若い米軍兵士達の映像は、十分な余裕をもって戦うことができた米軍の状況を端的に示していました。


◎宗教問題

様々な思想・信条を持つ人達が集まる米軍では、宗教に関する問題(トラブル)が後を絶ちません。特に、イスラム過激派系武装勢力との対テロ戦争が続き、イスラム教徒の米軍兵士が部隊内で難しい立場に置かれています。過日、米海兵隊の新兵訓練所で新隊員が飛降り自殺する事件が発生し、指導担当の下士官とその上官らが軍法会議にかけられました。

このような状況を打開するため、国防総省は様々な対策を講じています。これまでキリスト教系の従軍牧師が大半を占めていた米軍において、イスラム教徒を指導する資格を有する将校・士官の配属も始まっています。

過日、イスラム教徒の退役軍人らが海兵隊総司令官をラマダン月の夕食会に招待した様子が報じられていました。


2018.11.12

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第25号

◎「士官学校」入校準備講座

-「服に身体を合わせろ!」(後編)-

パナマ運河の拡幅工事というのも一つの方策ではありましたが、これには膨大な予算と時間が必要でした。このため、米海軍の戦艦や航空母艦の船幅には一定の制限が設けられることになりました。所謂「パナマックスサイズ」であって、これが第2次世界大戦までの米海軍艦船の船幅上限を規定することになりました。

このことは、各国の主力艦の艦形を比較してみるとよく分かります。日本海軍の長門級戦艦や大和級戦艦、或いはドイツ海軍のビスマルク級戦艦の図面や模型を眺めると、十分な船幅を確保して射撃時の安定性の確保に配慮がなされていることがわかります。一方、米海軍の新鋭艦であるアイオア級戦艦の模型を真上から眺めると、そのシルエットが実にスリムであることが分かります。

このことは航空母艦においても同様でした。日本海軍の「赤城」、「加賀」や大和級戦艦の船体を転換した「信濃」は、十分な幅のあるゆったりとした飛行甲板を備えていました。これに対して米海軍のヨークタウン級空母は、まるで30センチメートル定規みたいなスッキリとした艦形にまとめられていました。訓練や戦闘から帰還して着艦するパイロット達にとっては、ヨークタウン級空母のスレンダーな飛行甲板は少なからぬ負担であったかもしれません。


2018.11.5

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第24号

◎「士官学校」入校準備講座

-「服に身体を合わせろ!」(前編)-

旧日本軍においては、新兵に軍服等を支給する際に、古参兵は「(服が)少々キツイかもしれないが、軍隊では服に身体を合わせるのだ」と指導していたそうです。物資の乏しい旧日本軍、特に日本陸軍では、入隊してくる新兵のために各種サイズの制服等を十分に揃えることができず、多少キツイ軍服でも我慢させる必要がありました。

同様の「我慢」は米国海軍にもありました。それは将兵が着用する軍服等ではなく、軍艦のサイズでした。米海軍は、状況によっては大西洋と太平洋において並行して作戦を展開する事態を想定する必要がありましたが、いかに米国といえども両洋に十分な艦隊を常時配備するのは困難でした。

この問題を解決するカギがパナマ運河で、米海軍は、国際情勢や戦況に応じて艦隊を同運河経由で移動させる戦略を採用していました。この場合、巡洋艦までのクラスであれば運河の通航に問題はありませんでしたが、戦艦や航空母艦については難しい問題がついてまわりました。特に、今後開発・配備される戦艦や航空母艦については大型化することが予測されていましたので、何らかの対策を講じる必要がありました。


◎米空軍 ~ パイロット不足問題

米空軍においてパイロット不足が常態化していることは既に衆知のことですが、米空軍は様々な対策を講じています。

まず、現職のパイロットの勤務内容の見直しですが、飛行隊等において管理職としての役割を担う飛行隊長等に関して、そのデスクワークの負担を軽減させるための施策を検討しています。

次に、下士官から人材を募集するコースを設定して操縦要員の増加を図ろうとしています。ただし、同施策に関しては「下士官のパイロットを『操縦の職人』として処遇するのは問題ないが、将校に昇任するための新たなコースとして位置付けることには慎重であるべき」(ランド社)とのコメントも出されています。下士官として現場を束ねるスキルと、将校として部隊を指揮・管理する能力は異なることから、パイロットになった下士官に将校としての資質を身に付けさせるのは過重負担になりかねないとの懸念です。

いよいよ厳しい状況に追い込まれた米空軍は、2019年度から年間の操縦要員訓練課程の定員枠を1,500名規模に拡充する方針を固めました。


2018.10.29

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第23号

-「落し物」「ひったくり」にご用心(後編)-

同様の行動は、大西洋戦域においても実施されていました。洋上で故障したU-ボートが補修用部品等の送付要請を打電した際、これをキャッチした連合軍は当該U-ボートから暗号用端末(所謂「エニグマ」)を奪取する計画を立てました。自軍の潜水艦をU-ボートに似せて改修し、救援に来たU-ボートになりすまして立ち往生しているU-ボートに接近、急襲しようという作戦でした。

当該作戦については映画化(「U-571」)され、話題になりました。同映画では米海軍がエニグマ奪取を敢行したことになっていましたが、実際は英海軍のオペレーションであったとのことで、英国側からクレームが出たそうです。

軍機・外交機密の「強奪」は洋上だけではなく、陸上においても盛んに行われていました。満州事変(1931年9月)以降の中国大陸では、各国の外交部門や諜報機関等が活発に動いていました。日本としては、日本の大陸進出に批判を強める欧米各国の動向を正確に把握するために、それら諸機関がやり取りする情報を入手する必要がありました。

そこでアクションを起こしたのが日本軍の特務機関や憲兵隊でした。例えば、列車で移動する欧米外交部職員が携行する鞄を現地人に扮した日本軍の憲兵がひったくり、鉄橋の下で待ち受ける同僚めがけて放り投げるような手法がとられていました。

このようにして得られた外交文書等は写真撮影されて情報部門に送付され、鞄からは金目の物だけを抜き取って放置されたりしました。このように偶然に、或いは意図的に得られた外交・軍事機密は直ちに情報部門に上げられて、分析・評価されました。

しかしながら、それら取得情報には巧妙に仕組まれた偽情報が紛れ込んでいる可能性もあり、その活用には困難が伴いました。情報の争奪戦の裏側で、同時に狐と狸の化かし合いのような駆け引きが進行していました。


◎動向

・ホワイトハウス内部では、2019年度国防予算は今年度(2018年度)より抑制する方向で調整が進められている模様です。ホワイトハウスの担当官は国防総省のカウンターパートに対して「総額を7,000億ドル規模に抑えるように」と指示した模様です。

・米国のワシントン界隈では、中間選挙後に入れ替えの可能性がある上下両院の軍事委員会メンバーの顔ぶれに関心が集まっています。民主党が勝利した場合、軍事委員会委員長が代わる可能性もあり、トランプ政権の国防政策及び運用に影響が及ぶかもしれません。

・米海軍の艦隊規模を巡って議論が活発化しています。一部識者は「355隻艦隊構想」に関して、「計画の新造・補修ペースのままでは目標年度までに355隻を揃えるのは無理だ」と指摘しています。一方で、保守系シンクタンクは「欧州とインド太平洋でのプレゼンスを維持し、有事即応態勢を担保するためには400隻は必要」と見積っています。

・米空軍は、2020年度までに大部分の作戦飛行隊の稼働率を80%以上にまで引き上げる方針をしめしています。輸送航空軍司令官は、パイロット不足解消のため、輸送機操縦者の一部を戦闘機及び爆撃機の操縦要員に転換させることもあり得るとコメントしています。

・兵器共同開発を巡って欧州各国間で調整が進められています。欧州共通型フリゲート艦の開発に関しては、フランスとイタリアが主導する中でドイツ政府・産業界も関心を示しています。関係者の間では「欧州の各国がバラバラに水上艦艇を開発・建造していては、世界の市場で競争力を維持出来ない」という危機感が強まっています。一方で、仏独共同開発の次世代型戦闘機に関しては、輸出規制の在り方を巡って見解の相違が顕在化しています。フランス政府は、原則として輸出制限を設けるべきではないとの立場です。これに対してドイツ政府は、輸出先の人権状況等を勘案すべきとの立場です。


◎艦上無人給油機

米海軍は、空母艦載機の飛行時間、作戦地域を拡大するため、無人給油機の配備を計画しています。現在はKA-6D、S-3B、F/A-18戦闘攻撃機が実施している艦載機への空中給油任務を、将来は無人給油機MQ-25に担わせる計画です。

米海軍は当初、艦上無人機を偵察や攻撃に使う選択肢も検討していました。しかし、偵察、攻撃任務に必要となる関連装置(含;ソフトウェア)の開発に時間を要すること、現有の艦上給油機の退役時期が迫ってきたこと等の事情により、給油機としての開発を優先させる方針に切り替えた模様です。

私達の日常生活ではセルフ式のガソリンスタンドが増え、無人給油所の可能性も検討されています。洋上では一足先に「無人のガソリンスタンド」が実現しそうです。


2018.10.22

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第22号

-「落し物」「ひったくり」にご用心(前編)-

携帯電話やスマホなどを亡失して慌てる場合がありますが、一番怖いのが「個人情報の流失」だと言われています。戦争で怖いのは勿論「軍機の流失」で、これが戦争の大局に少なからぬ影響を及ぼした事例が幾つかありました。

日本海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は、開戦当初はその運動性能の良さと長大な航続距離によって連合軍の戦闘機を圧倒していました。ゼロ戦対策に頭を悩ませていた米軍は、ある日幸運にも、北太平洋の小島に不時着したゼロ戦を確保することができました。当該機体はほぼ完全な状態であったことから、これを補修した後、米軍は実際にゼロ戦を飛行させてその長所と短所を徹底的に調べ上げました。

この結果、大馬力のエンジンを搭載した大型戦闘機が急上昇・急降下することによって高速離脱すれば、ゼロ戦を振り切ることができることが判明しました。また、ゼロ戦の防弾機能が脆弱であることも分かり、重武装の戦闘機による一撃離脱戦法が編み出されました。

暗号システムについても、連合軍は敵失を有効に活用しました。南太平洋海域で撃沈された日本海軍の潜水艦について、比較的浅い海域に沈んでいることが判明した際には、潜水夫を潜らせて暗号用のコードブックを回収させました。ここで得られたコードブックを基に、過去の日本軍の交信記録を丹念に調べてそのパターを分析し、新しい暗号コードに変更された後の解読作業に役立てることが出来ました。


◎動向

欧州では、ロシアに対抗する為の合同演習が活発化しています。当該合同演習に参加する米海兵隊の部隊は、欧州での本番前にアイスランドで演習を行っています。米海軍が27年ぶりにノルウェー沖の北極圏に空母打撃群を派遣したことも話題になりました。

米軍は、イラクやアフガニスタン等での対ゲリラ戦からロシア、中国等との武力衝突を想定した態勢へのシフトを急いでいます。米陸軍は地上部隊の防空能力強化等に、米海兵隊は76年間の歴史を持つCombat Assault Battalion(CAB)の大幅改編に着手しています。警察組織が「コソ泥相手の取締」から「大規模犯罪組織・テロ集団への対抗」にシフトした感じでしょうか。

有事の際に欧州等へ米陸軍、海兵隊を送り込む海上輸送力に不安の声が上がっています。国防総省 Inspector Generalが米海軍輸送艦隊(Military Sealift Command(MSC))における不適切な運用実態を指摘(事前配備輸送船のメンテナンスが杜撰 等)しています。更に米海兵隊幹部は、「中国との紛争を想定した場合、現有装備と現行態勢のままでは勝てない」と指摘しています。現行の「Maritime Prepositioning Force program」 では大型貨物船に主要装備一式をパッケージで搭載していますが、揚陸には大深度の岸壁と熟練の作業員が必要であることから、態勢の抜本的な見直しが必要との見解を示しています。

欧州では、水上艦艇の共同開発、建造に向けた動きが停滞しています。識者は「欧州には6~8タイプのフリゲート艦があるが、いずれも建造隻数は10隻以下である」として、「このままでは欧州の艦船建造業界の国際競争力を維持出来ない」と警鐘を鳴らしています。

英国内外では、国防省が米国製兵器を競争入札無しで導入決定していることに不満が出ています。次期早期警戒機事業を巡っては、スウェーデンの事業者等が異議申し立てを行う姿勢を見せています。識者の間では、「ブレグジットを控えて、安全保障上の観点から米国との関係を重視せざるを得ないのでは」との見解が出ています。


◎米軍における人種差別問題

「人種のるつぼ」と称される米国では、軍内部での人種差別問題は依然として深刻な問題です。過日、米海兵隊の新兵訓練施設においてイスラム系の新兵が飛降り自殺する事件が発生しました。内部調査の結果、訓練教官が同新兵達に対して平手打ちなどの不適切な行為を行っていたことが判明し、同教官とその上官らが軍法会議に掛けられています。

米海軍の空母では、アフリカ系の乗員が「私の寝台の一部が破壊され、ゴミが放り込まれていた」と申告しました。また米空軍士官学校(コロラドスプリングス)では、入校予定者の居室前のボードに「N○○○○(アフリカ系米国人への蔑称)は帰れ」の走り書きがされ、SNSで拡散されて問題になりました。後刻、両事案とも本人の自作自演であることが判明しましたが、人種差別に対する複雑な問題が底流にあることを窺わせる事案です。


2018.10.15

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第21号

◎「士官学校」入校準備講座

-「遺物」や哀れ(後編)-

海上戦力で要塞に該当するのが、第2次世界大戦開始まで各国海軍の中心的存在であった戦艦でした。第1次世界大戦において潜水艦と航空機が新たな兵器として活躍し始めましたが、各国海軍はそれらの潜在的能力等を十分に評価しきれずに、惰性に流されるまま、戦艦戦力の拡充に邁進しました。

戦艦は、それ自体が高価であることに加えて、これを護衛する補助艦船の整備も必要でしたので、列強間の建艦競争は各国の財政に重い負担となりました。そこで各国は、ワシントン海軍軍縮条約を締結して主力艦船の保有上限を約定しました。

英米海軍に比べて数的不利な立場にあった日本海軍は、やがて「一騎当千」型バトルシップの切り札として有名な大和級超弩級戦艦4隻の建造を決定しました。大和級については、戦艦として建造されたのは2隻(「大和」「武蔵」)で、3隻目は途中で航空母艦(「信濃」)に変更されました。

しかしながら、大和型戦艦2隻はいずれも米海軍機動部隊の艦載機部隊に撃沈され、空母「信濃」も回航中に米海軍の潜水艦の雷撃によって沈みました。大和級戦艦に限らず、日本海軍の戦艦部隊は、空母機動部隊の護衛やガダルカナル島砲撃などの他には目立った活躍の場もなく、トラック島や桂島で停泊するか訓練に励むかの無為な日々を過ごしていました。戦前に井上成美航空本部長が主張した「これからの海戦で戦艦など役に立たない。航空機と潜水艦が主役になる。」が、見事に的中しました。

これに対して米海軍は、真珠湾空襲でダメージを受けた旧式戦艦は上陸作戦支援用の艦砲射撃に、新型戦艦(ワシントン級、アイオワ級)は空母機動部隊の護衛及び艦砲射撃にと、「遺物などとは言わせない」とばかりに戦艦群を有効活用しました。米海軍はアイオア級戦艦を戦後も保存・整備して、ベトナム戦争では艦砲射撃に、湾岸戦争では艦砲射撃と巡航ミサイルの発射にと有効活用しました。


◎第6世代型戦闘機

国防総省は既にF-22、F-35の次を見据えて第6世代型戦闘機の開発事業に着手しています。

ノースロップ・グラマン社は社内に開発班2個チームを起ち上げています。ロッキード・マーチン社も、有名な「スカンクワーク」班がF-22、F-35に続く「3連覇」を目指して動き出している模様です。ロッキード・マーチン社の前に2連敗中のボーイング社の意気込みについては言を俟たないところです。

この機種に関しては、敵のミサイルから自機を護るために高エネルギー(レーザー)兵器を搭載させる構想も囁かれており、SF映画さながらの空中戦をイメージさせる兵器に仕上がりそうです。


◎3Dプリンター

私達の日常生活でも身近になりつつある3Dプリンターですが、米軍においては従来の補給の概念を覆す原動力として注目されつつあります。

世界各地に展開している米軍にとって、装備品が故障した際の交換部品の調達は極めて重要な問題です。現在、多くの予備部品は米国本土及び世界各地の補給所で保管、管理されており、必要に応じて戦闘現場近くの補給処に輸送されています。この補給・補充方法では、部品等の発注から受領までに相当の日時が必要となり、その間装備品は「Out of order」として文字通り戦力外となってしまいます。ストックが無い部品の場合、製造事業者に発注して急ぎ作ってもらわなければなりません。

しかし、現場近くで部品を製造出来るようになれば、最小限の時間で故障した装備を現場復帰させることが可能になります。米海兵隊は3Dプリンターを操作可能な要員への訓練を本格化させています。


2018.10.8

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第20号

【 お知らせ 】

1.次号(第21号;10/15(月)掲載予定)の掲載は、同日(10/15)の夕方以降となります。

2.「◎海外報道等」は本号(20号)をもって終了します。


◎「士官学校」入校準備講座

-「遺物」や哀れ(前編)-

戦略や戦術の変化、或いは科学技術の進歩などによって、ある時代の主力・花形兵器がやがて時代遅れの遺物になっていった事例は多々ありました。その代表例が陸上では要塞であり、海上では戦艦でした。

要塞は、中世の華やかな城郭が火砲の強大化によって低層化・堅牢化を求められた結果、無機質な外見ながら優れた防御力を有する施設へと変貌してきたものです。その代表例が日露戦争における旅順要塞で、所謂「ベトン要塞」として主要設備を分厚いコンクリート壁で覆う近代的なものでした。そのような近代要塞に関する情報が不十分であった攻囲軍(第3軍:司令官 乃木希助中将)が多大な損害を被ったことは有名です。

第1次世界大戦の惨禍に懲りたフランスが、ドイツとの国境に造ったのが有名なマジノ線でした。これは、第1次世界大戦で多数の成年男子を失ったフランスが、少人数で効率的・効果的に国境地帯を防御するために、莫大な予算を投入して構築したものでした。これに対抗して、ドイツはジークフリート要塞を対面に構築しました。

フランスが国家安全保障の切り札として構築したマジノ要塞は、しかしながら、近代化の最先端を突っ走るドイツ機甲部隊の電撃戦の前に殆ど役には立ちませんでした。1940年5月のドイツ軍による西方侵攻作戦においては、ドイツ軍はマジノ線の待ち受ける独仏国境地帯を避けて、アルデンヌの森林地帯を突破する作戦を実行しました。大地に固定されたマジノ要塞は、これに拠る多数の仏軍将兵とともに遊兵化してしまい、フランスは敗北しました。

マジノ要塞という軍事的遺物は、これを攻撃せんとするドイツ軍にも遺物的な攻撃兵器の開発を強いることになりました。所謂「列車砲」等の超重砲で、ドイツは最終的に80センチ砲を開発・製造しましたが、操作要員・支援要員合せて5千名以上が必要となるなど、その効果には大きな疑問符が付きました。


◎米海兵隊 ~ 装備の改良(極寒地対応)

米海兵隊は、必要とあれば北極圏から高温多湿の低緯度地域まで出向いて活動することになります。その際、携行する各種装備が極端な環境下でも正常に作動しないと、部隊の行動に支障が出てしまいます。実際、ノルウェーでの極寒地訓練に参加した米海兵隊員の個人装具(背嚢固定補助板)が破損してしまい、長距離行軍演習等に影響が出た模様です。

米軍の場合、アラスカ州やカナダなどでの演習機会もあり、極寒地における装備品の耐久性については問題無しとの認識でした。しかし、上には上があるもので、真冬のノルウェー北部(北極圏)では幾つかの装備品に不具合が発生しました。

米海兵隊としては、遠路はるばる北欧まで移動し、(ノルウェーと国境を接する)ロシア政府から文句を言われたとしても、装備品の改良という貴重な収穫があったと受け止めているようです。


2018.10.1

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第19号

◎「士官学校」入校準備講座

-深海の密使達(後編)-

シンガポール等を無事に出港した派遣潜水艦は、インド洋や南大西洋で日本やドイツの特殊任務艦船から燃料や物資の補給を受けながらフランスの軍港を目指しました。連合軍の警戒態勢が厳重な北大西洋に入る前には、ドイツ海軍の要員が対空警戒装置とともに派遣潜水艦に乗り込んできて、日本側を手厚くサポートしました。ビスケー湾を無事に通過してフランスの軍港に入港する際には、ドイツ海空軍が厳重な護衛体制を敷いて派遣潜水艦をブンカー(コンクリート製の潜水艦用退避施設)へと誘導しました。

派遣先のドイツやフランスでは、歓迎レセプションに続いて情報交換、資機材の調達・積載、乗組員の休養、潜水艦の補修などが行われました。この際、日本の潜水艦が発する音の大きさに驚いたドイツ海軍は、エンジニアを動員して派遣潜水艦の防音工事を施しました。ドイツにおいて所期の目的を達成した派遣潜水艦部隊は、ドイツでの任期を終えた駐在員等とともに帰路に就きました。

このような多大な苦労を伴う欧州派遣については、最終的には6隻の潜水艦がチャレンジしましたが、無事に日本本土まで帰着したのは1隻だけでした。派遣潜水艦の多くは、出港直後に撃沈されたり、シンガポールに寄港してから本土へ向かう途上で触雷・沈没したりして、その目的を完遂することは出来ませんでした。最後に派遣された潜水艦は、入港予定地(フランス)が連合軍に制圧されてしまったことから、ビスケー湾で待機中に撃沈されてしまいました。

ドイツから日本へもU-ボートが派遣されていましたが、やはり無事に帰還することは困難でした。ドイツから日本に提供されたU-ボートを送り届けたドイツ海軍の乗組員達は、帰国の目途が立たずに、結局終戦まで日本に留め置かれていました。

また、ドイツ降伏間近に出港したU-ボートでは、航行の途中に悲劇が起きました。同潜水艦には日本海軍の技術士官2名が便乗していましたが、大西洋を航行中にドイツが降伏し、ドイツ海軍上層部からは速やかに浮上して連合軍に降伏すべき旨の命令が下達されました。当該潜水艦に便乗していた日本海軍の2名の士官は、降伏を潔しとせず、服毒自決を遂げました。


◎B-21 Raiders

米空軍が21世紀の主力戦略爆撃機として開発、取得を目指す機種はノースロップ・グラマン社が受注し、「B-21 Raiders」と正式呼称されることが決まっています。同社が受注した背景としては、最新型爆撃機B-2Aを開発した実績と、受注を競ったロッキード・マーチン社とボーイング社がそれぞれ次期主力戦闘機(F-35戦闘攻撃機)、次期空中給油機(KC-46A)等を受注している事情などがあると言われています。

単価に関しては、B-2Aが調達機数の大幅削減(127機 → 22機)により1機20数億ドルとなった反省を踏まえ、「5億5,000万ドル/機」という単価上限が設定されています。連邦議会は「B-2Aのように、機体重量と同じ純金より高い爆撃機はNG」「当該単価設定の妥当性を含めて情報公開を」と国防総省、米空軍に要求しています。これに対して米空軍は、性能諸元の秘匿を理由にそれら諸データの開示に難色を示しています。

米空軍は、今後の戦略爆撃機部隊の編成を「B-52H」+「B-1B、B-2A」から「B-52H」+「B-21」にシフトして行く方針を公表しています。


2018.9.24

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第18号

◎「士官学校」入校準備講座

-深海の密使達(前編)-

第2次世界大戦では、枢軸国側(日独伊 等)は欧州とアジア大洋州に分かれていたため、その連絡・交通には困難が伴いました。1941年6月の独ソ開戦までは、シベリア鉄道を利用することで往来することも出来ました。しかし、独ソ開戦後は海上交通路しか利用出来なくなり、多数の人員や大量の物資を交換することは極めて困難になりました。

ドイツの場合、圧倒的に優勢な連合軍に海上封鎖されていたことから、自国や占領地域だけではまかないきれない戦略物資を調達するために、所謂「特攻輸送船」を海外に派遣しました。これは、ドイツの貨物船を日本軍が制圧した東南アジア方面に派遣するもので、同地で戦略物資(錫、生ゴム等)を積み込んで帰投させようとする試みでした。ドイツから派遣されたそれら船舶のごく一部は、幸運にもドイツ占領地域(フランス等)まで辿り着くことができました。しかし、大半の貨物船は連合軍の艦船や航空機に発見されて、撃沈されるか拿捕を回避するために自沈に追い込まれました。

ドイツとしては、日本軍の占領地域との連絡・交通のためには潜水艦を使うしかなくなりました。しかしながら、U-ボートは比較的小型の設計であったことから、イタリア海軍の潜水艦を活用する方針を固め、ドイツからはその代償措置としてU-ボートがイタリア海軍に提供されました。

日本は、ドイツ等に駐在する武官や技術者などの交代の他、ドイツの優れた軍事技術等を入手するためにも潜水艦を欧州に派遣する必要がありました。この任務に指名された潜水艦には乗組員の他、新任の駐在武官や技術者などが乗り込みました。

派遣される潜水艦は、作戦海域から一度シンガポール等へ呼び戻され、準備完了後に出港しました。この際、軍港近くで待ち伏せる連合軍の潜水艦の雷撃を受けて撃沈されるケースもありました。更に、連合軍は対潜水艦部隊を充実させるとともに、南アフリカなどの基地から長距離哨戒機を飛ばせて監視体制を強化していましたので、派遣潜水艦は危険を伴う航行を余儀なくされていました。


◎米陸軍 ~ 欧州の同盟国に国防努力を求めるトランプ政権からのメッセージ

今月(9月)上旬、在欧米陸軍指令部は2020年9月までに1,500名規模の米陸軍部隊を新たにドイツに派遣(駐留)させる旨を発表しました。配備予定の部隊は砲兵連隊指令部、多連装ロケット砲2個大隊、短距離防空1個大隊です。同指令部は「在欧米軍は、欧州の他所から米軍部隊を移転させるのではなく、新たに追加的な部隊をドイツに投入することを決めた」「欧州における米陸軍のプレゼンスを強化するという明確なメッセージである」とコメントしています。欧州のNATO加盟国は、過日のNATO首脳会合で「2024年までに国防予算を対GDP比で2%以上にする」との目標達成をトランプ大統領に約束しました。今回の在欧米軍の発表は、「対GDP比1.5%」という低い目標を掲げるドイツに対する米国政府からの強烈なメッセージであると思料されます。


◎セクシャルアサルト(性的嫌がらせ)問題

過日、国防総省は「2014年度の米軍におけるセクシャルアサルト実態報告」(ランド社調べ)を公表しました。同報告書には各基地・駐屯地・施設及び各艦艇における被害件数が記載された資料が添付されています。同報告書によると、最もセクハラが酷いのは米海軍の艦艇で、最もセクハラのリスクが低いのはペンタゴン他の指令部とのことです。報告書の公表までに5年近くの歳月を要した理由について国防総省の担当官は「米軍人の部隊間移動が頻繁なこともあり、問題事案発生の箇所を特定するのに時間がかかった」と説明しています。


2018.9.17

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第17号

◎「士官学校」入校準備講座

-「官尊民卑」は日本人のDNA?(後編)-

現場の潜水艦艦長達は、警戒厳重な米艦隊の主力艦艇への攻撃は損害ばかり大きくて戦果が乏しい現状を踏まえて、攻撃の主軸を連合軍の輸送船団に向けるべきことを意見具申しました。これに対する海軍上層部からの回答は、「命が惜しいのか」という罵声と返信文書への「国賊!」という朱書きのコメントでした。

日本海軍の通商破壊作戦に関する旧態依然とした姿勢については、同盟国ドイツも歯がゆく思っていました。大西洋においてU-ボートで連合軍の輸送船団を攻撃し、多大な戦果を上げていたものの、連合軍が護衛艦隊や対潜兵装(レーダー、無線方位探知装置など)を充実させてくると、戦果の逓減と未帰投のU-ボートの増加という事態が顕在化してきました。

ドイツとしては、連合軍の護衛艦隊が少しでも太平洋戦域に割かれる状況を切望していたので、ある行動に出ました。ドイツは、ヒトラーから天皇陛下への献上という形で、U-ボート2隻を日本海軍に譲渡しました。ドイツ海軍としては、日本海軍がU-ボートをコピーして、通商破壊目的の潜水艦部隊を充実すべきことを慫慂しました。しかし、日本海軍がその意向を酌んで和製U-ボートを大量に建造・配備することはありませんでした。

日本海軍が洋上での艦隊決戦を夢見ていた時、対する米海軍は、その潜水艦部隊を日本のシーレーンにぞくぞくと送り込んでいました。日本海軍は海上護衛作戦に殆ど興味や危機感を持っていませんでしたので、船団護衛体制は貧弱であり、米海軍の潜水艦と同陸軍航空隊の長距離爆撃機により、日本の輸送船団は甚大な損害を被ることになりました。

かくして、「官尊民卑」を墨守した日本海軍は、あくまでも合理主義を貫いた米国陸海軍の前に、完膚なきまでに撃破されました。昨今の「官僚・霞が関バッシング」は、勿論行き過ぎはいけませんが、日本人が自らに内包する前近代的なDNAを駆逐しようとする葛藤なのかもしれません。


◎携行糧食

野戦部隊の将兵への給食は、部隊の戦闘力を維持する上で重要な問題です。ベトナム戦争当時、米軍上層部は前線の将兵に暖かい食事を与えることに注力し、その比率は95%を下回ることはなかったと伝えられています。米軍当局は戦場での給養に関して、軍歌で「泥水すすり 草を食(は)み・・・♪」「携行糧食あるならば 散兵線に 秩序あり♪」と高らかに歌った旧日本陸軍とは対極の認識でした。

米軍は所謂「レディー・トゥー・イート(RTE)」と呼ばれる携行糧食の充実に力を入れています。根拠地を離れて数日間活動する場合、将兵は活動予定日数分のRTEを背嚢に詰めて運ばなければならず、その負担軽減は長年の課題でした。当該問題を解決するため、米軍は高カロリー系携行糧食の開発を進め、ピザタイプのRTEも近々に導入される見通しです。


2018.9.10

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第16号

◎「士官学校」入校準備講座

-「官尊民卑」は日本人のDNA?(前編)-

士農工商という身分制度に慣れて、明治開闢以降も日本人には「官は公を司る尊いもの 民は己の利得ばかり追い求める卑しいもの」という感覚が根深く残っているのかもしれません。かつて東京大学法学部では、国家公務員上級職採用試験(現在の総合職)や司法試験を受験する学生達には、これらを受験しない民間企業就職組を「覇気のないヤツ」「志の低いヤツ」などと蔑む雰囲気・傾向があったそうです。現在では、両者の立場はほぼ逆転しているようですが・・・。

このような感覚は、日本海軍にも色濃く投影されていました。海軍省、軍令部及び連合艦隊の指揮官・参謀達は、仮想的国の主力艦隊との決戦にいかに勝利するかにその意識を集中していました。「敵国海軍の主力を撃破して制海権を握れば、残りの商用船は後でゆっくり料理できる」という考え方は、確かに一理ありました。

これと正反対の戦略を採用していた、というより採用せざるを得なかったのが戦間期及び第2次世界大戦時のドイツ海軍でした。ベルサイユ条約によって海軍戦力を低い水準に抑え込まれ、更に、陸軍国というドイツの事情から陸軍・空軍に資源を優先配分された結果、ドイツ海軍の対英国海軍における劣勢は決定的なものでした。この結果、ドイツ海軍は「水上艦隊同士の海戦では英国海軍にはかなわない。それでは、貿易立国である英国のシーレーンを叩いて、英国を日干しにしてやろう」という海軍戦略を徹底することにしました。

ドイツ海軍はこの戦略に基づいて、戦艦等の主力艦艇の整備と並行して、潜水艦(U-ボート)、仮装巡洋艦(貨物船等を武装したもの)及び装甲艦(通称「ポケット戦艦」)といった通称破壊作戦に有効な艦艇の整備にも注力しました。ドイツ海軍にあっては、あの戦艦ビスマルクや同ティルピッツでさえ、その建造の目的は「大西洋上の連合国輸送船団の撃滅」及び「通商破壊作戦を了して本国に帰投する友軍艦船の援護」でした。司令官以下には「有力な敵(英海軍)艦隊との遭遇・海戦は極力避け、専ら敵輸送船の撃破に尽力すべし」との方針が徹底されていました。

これに対して日本海軍は、潜水艦を主力艦隊同士の決戦を有利に導くための補助的手段と位置付けていました。伊号潜水艦などは、その長大な航続力を活かして、太平洋を西進してくるであろう米国太平洋艦隊の動向を探る偵察部隊としての役割を期待されていました。通常の作戦行動においても、その攻撃目標は厳重に警護された米艦隊の航空母艦や戦艦に向けられるべきことが厳命されていました。


◎米海兵隊 ~ もはや「D-Day(ノルマンディ上陸作戦(1944年6月6日))」の再現はない

海兵隊と聞くと、海岸線めがけて上陸用舟艇や水陸両用戦闘車両が殺到するシーンをイメージする人が多いと思います。しかし、現代の戦闘ではそのような場面展開はなさそうな状況です。

ロシア、中国等は近年、地対艦ミサイル等の防御兵器を充実させていることから、攻撃(上陸作戦実施)側は強襲揚陸艦等を海岸線近くにまで進出させることは困難です。米海兵隊総司令官は「水平線の向こう側から(洋上を)高速で海岸線にアプローチ出来なければ、こちらの艦(ふね)が沈められてしまう」と新しい戦闘手法の開発を下命しています。

米海兵隊は、当該防御兵器を無力化するために長射程精密誘導兵器の導入を検討しています。米海軍艦船の甲板からM270MLRS(多連装ロケットシステム)やHIMARS(高機動ロケット砲システム)を試射するなど、新たな戦術の可能性を模索しています。

今後の上陸作戦は、F-35B戦闘攻撃機と精密誘導兵器で海岸線を「掃除」した直後にオスプレイに搭乗した海兵隊員が海岸線一帯を制圧し、水陸両用戦闘車両に乗り組んだ本隊が橋頭堡に駆け付けるスタイルが一般的になるのかもしれません。


2018.9.3

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第15号

◎「士官学校」入校準備講座

-「一銭五厘」か「地球より重い」か(後編)-

これが米軍となると、全く正反対の方針が徹底されていました。まず機体ですが、搭乗員を防護するために要所には防弾板が装着され、燃料タンクの内部には特殊なゴム材をコーティングして防漏措置を施していました。機体が被弾や故障で飛行不能になった場合に備えて、各機には日除け付きの小型救命ボートが常備されており、これには飲料水や食料、医薬品などがセットされていました。

更に米軍は、被弾して海上等に脱出した乗組員を救助するための態勢構築も徹底していました。基地と攻撃目標を結んだ飛行コースには、適宜の間隔で海軍の潜水艦が配備されて、脱出した搭乗員を救助していました。元米国大統領のブッシュ氏(お父さんの方)が太平洋上で味方の潜水艦に救助された様子を写した映像は、米軍の搭乗員救出体制を端的に記録したものでした。

また米国陸軍航空隊は、本来は海軍航空隊の装備機材である飛行艇を調達して、B-17やB-29といった爆撃機等が緊急着水する事態に備えていました。友軍の潜水艦や飛行艇などに救助された乗組員達は、やがて新しい爆撃機に乗り組んで活躍することになりました。

日本軍においては、生命軽視についても「率先垂範」が求められていました。被弾して沈没必至となった日本海軍の艦艇では、艦隊司令官や艦長が自らの体を艦橋に縛り付けて、艦と運命を共にすることが美徳とされていました。ミッドウェー海戦で空母飛龍とともに沈んだ山口多聞中将は、その代表例として有名です。

武将としての潔さという点では、艦と運命を共にする海軍の高級指揮官の態度は実に立派でしたが、その深刻な側面を忘れなかった提督もいました。当時の山本五十六連合艦隊司令長官は「軍艦はまた造ればいい。しかし、有能な艦長を育て上げるには20年以上、提督に至っては30年以上かかる。むざむざ命を粗末に扱うな。」と各艦隊・艦艇に示達したそうです。


◎米陸軍 ~ 短射程防空システム ~ イスラエルとの共同開発

米陸軍は現在、低高度から侵入を試みる敵航空機、巡航ミサイル、ドローン等の脅威に神経を尖らせています。

2001年以降、米陸軍はイラクやアフガニスタン等での対ゲリラ戦闘に忙殺されてきました。一方で、ポスト冷戦という安全保障環境もあり、戦力が大幅に低下していたロシアや軍拡路線が顕在化するに至っていなかった中国の軍事力をあまり意識する必要はありませんでした。

しかしその後、ロシアと中国は電子戦・サイバー戦能力を飛躍的に向上させるとともに、ドローンを含む攻撃手段の近代化を推進してきました。一方の米陸軍は、中東での対テロ戦争で膨張した臨時軍事費の影響もあり、地上部隊の上空を防護する兵器システムの開発、配備が停滞していました。

米陸軍としては、ストライカー装甲戦闘車両に短射程地対空ミサイル、機関砲システムを搭載させる構想を練っている模様です。具体的な装備候補には、米国とイスラエルが共同開発している防空システムもリストアップされています。米陸軍としては、当該短射程防空システムを特に緊急性が高い欧州から配備していく方針です。


2018.8.27

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第14号

◎「士官学校」入校準備講座

-「一銭五厘」か「地球より重い」か(前編)-

第2次世界大戦までの日本においては、将兵の生命は極めて軽いものと位置付けられていました。旧日本軍においては、徹底して「己の命を鴻毛の軽きに比すべき」ことが強調されていました。徴兵された新兵達は、教育・指導にあたる下士官から繰り返し「オマエたちの命は一銭五厘でいくらでも補充できるんだ」と叩き込まれていました。因みに、徴兵に関する重大な公的連絡が、郵送料金一銭五厘の郵便物で示達されるわけはなく、役場の兵事係の職員が直接各家庭に赴いて手交していました。

人間は誰でも死にたくはありませんから、危険と隣り合わせの戦場において将兵が勇敢に戦い尽くすことを求める軍当局からすれば、このようなスローガンを浸透させる必要がありました。その良し悪しの判断は脇に置くとして、結果的には、旧日本軍においては将兵の生命は軽視される傾向が強まりました。

戦場では、武器・弾薬・燃料等の戦闘用装備の補給・輸送が何よりも優先され、糧食や医薬品などは後回しにされていました。この結果、前線の日本軍部隊としては食料等を現地で「徴発」せざるを得なくなり、現地住民の反感・離反を加速させる遠因ともなりました。

この生命軽視の方針の徹底は、戦場においては将兵の勇猛果敢な戦闘行動を導き出しました。敵艦隊を攻撃中に被弾した攻撃機の乗組員は、帰投不能と判断するや、躊躇なく敵艦に体当たりを敢行しました。この「被弾・帰投不能の場合は敵艦に体当たりする」という姿勢については、日頃から日本軍の乗組員の間で暗黙の了解事項になっていたようです。日本軍の戦闘機パイロットの中には、落下傘を付けないで出撃していた人もいたそうです。


◎対外兵器売却承認手続問題

米国の国防関連事業者が開発・製造する最高水準の兵器システムは、米国の同盟国・友好国に供給されていますが、取引の大半は政府間取引(FMS)となっています。武器類の対外売却では「外国政府からの引き合い → 国防総省の審査 → 国務省の審査 → 連邦議会の審査」というチェックを経ることになりますが、審査では供給先の国・地域の人権状況等も勘案されることから、場合によっては結論が出るまでに数年かかることもあります。その間に、シビレを切らした国々は欧州製兵器、場合によってはロシア製・中国製兵器の導入に切り替えてしまいます。ロシアや中国が世界の兵器市場に浸潤しつつある状況に鑑みて、米国政府は6月からFMSに係る手数料を引き下げる(3.5% → 3.2%)ことにしています。過日、訪米したサウジアラビアの皇太子と会談したトランプ大統領は、同皇太子とメディアに「サウジアラビアへの兵器売却、締めて125億ドル」というボードを手に(対外兵器売却に)積極的な姿勢をアピールしました。


2018.8.20

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第13号

◎「士官学校」入校準備講座

-「二」本軍 VS 米軍(後編)-

陸軍は大陸で、海軍は太平洋で、桃太郎のお爺さんとお婆さんよろしく、それぞれ別個のフィールドで戦っているうちは、現場での齟齬は露見しませんでした。しかし、陸軍部隊と海軍の地上部隊が同じ島嶼で防御戦闘に臨んだ際に、陸軍の兵器に海軍の兵器の部品や弾薬を融通出来ないケースが多発し、戦闘能力を減殺させていました。

戦況が日本側に厳しくなってくると、陸海軍の縄張り争いは熾烈を極めました。次々と高性能な戦闘機などを繰り出してくる米軍に対抗するために、陸軍も海軍も新型機の開発に死力を尽くしました。同じ工場内でも、陸軍機用のエリアと海軍機用のエリアの間には壁が設置されて、「隣は何をする人ぞ」のような状態だったそうです。

その過程で、驚くべき事態が発生しました。海軍の新型機の開発に従事していたエンジニアが、ある日突然、陸軍に徴兵されてしまいました。海軍の開発担当者が陸軍に対して「新型機の開発に重大な支障が生じる」と抗議しても、徴兵権を持つ陸軍は当該召集を撤回しませんでした。後日、海軍がそのエンジニアの配属先を調べたところ、陸軍の軍用機を開発する機関であることが判明しました。

戦況がいよいよ逼迫してくると、さすがに陸海軍の間でも相互協力の必要性が認識されるようになってきました。連合艦隊司令部には、陸軍参謀本部から優秀な参謀が派遣されるようになりました。その一人に、陸軍大学校を首席で卒業して御前講演を許された瀬島龍三参謀も含まれていました。

現場においては、海軍航空隊だけでは米軍に対抗出来なくなり、満州で対ソ戦に備えていた陸軍の航空部隊が台湾や比島などに進出するようになりました。しかしながら、陸軍航空隊は洋上での作戦に不慣れであったことから、海軍航空隊と合同で訓練を行い、最終的には合同部隊として米海軍の機動部隊等への攻撃を実施しました。また、陸上戦闘能力に不安が残る海軍陸戦隊や根拠地防護部隊については、陸軍からベテランの将兵が派遣されて戦闘要領等を伝授しました。

以上のように、旧日本陸海軍は「陸海空軍の統合運用」という近代戦遂行に不可欠な要素を無視し続け、連合軍に完膚なきまでに叩き潰されました。戦後創設された防衛大学校においては、陸海空の幹部自衛官候補生を同じ環境で教育・訓練しています。これは、戦前の陸軍の暴走や陸海軍の不毛な対立に辟易していた吉田首相他の意向が強く反映されことによるものだそうです。


◎ズムワルト級駆逐艦

同艦は、敵国領土内への砲撃等を任務としていました。このため、敵のレーダー波を乱反射することでステルス性能を高める形状を採用したことから、極めてユニークな艦型を呈しています。同艦はステルス形状により、1万トン級の艦体が相手のレーダーにはクルーザーか漁船くらいの船舶として映るとも言われています。

米海軍としては同クラスの駆逐艦を多数配備する計画でしたが、建造コストが大幅に上昇したことから3隻だけ建造して打ち止めとなりました。同艦には砲弾の射程を大幅に伸ばせる電磁砲の搭載が計画されていましたが、技術上、コスト上の理由からペンディングとなっています。


2018.8.13

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第12号

◎「士官学校」入校準備講座

-「二」本軍 VS 米軍(前編)-

先の世界大戦に敗れて雲散霧消した旧日本軍については、別名「二」本軍として揶揄されることがあります。陸軍と海軍が不仲なのは旧日本軍に限ったことではないようですが、旧日本陸海軍のそれはかなり徹底していたようです。

まず兵装ですが、制空戦闘機として陸軍は一式戦(所謂「隼」)を制式化した一方で、海軍は零式艦上戦闘機(所謂「ゼロ戦」)を採用しました。隼が地上部隊の直援等を主任務としていたのに対して、ゼロ戦は艦載機として陸上攻撃機や艦載の爆撃機・攻撃機の護衛、空母機動部隊の直援が主な任務でした。

戦闘機を開発するためには優秀な研究者・技術者を集める必要があり、莫大な経費もかかります。しかしながら、国際情勢が緊迫化する中にあって、旧日本陸海軍の幹部達には「開発スピードを上げるためにゼロ戦に一本化する」という発想は全く無かったようです。

かくして陸海軍は、限られた優秀な研究者等と予算を競うように囲い込み、それぞれの機種開発に人的資源を注ぎ込みました。同盟国ドイツの空冷式エンジンのライセンスを、日本陸軍と日本海軍が別個に契約するという無駄遣いもどこ吹く風でした。

敵航空機を射撃する火砲についても、陸軍は「高射砲」と称し、海軍は「高角砲」と呼びました。勿論、陸軍の高射砲と海軍の高角砲は異なる仕様に基づいて、それぞれ別個に開発、生産されていました。米軍やドイツ軍などが、基本的には同一仕様の高射砲を陸海空軍に配分していたのとは大違いでした。

重機関銃についても、陸軍と海軍は独自路線を貫いていました。これに対して米軍は、個性重視のお国柄とは反対に、「キャリバー50」として有名な12.7ミリ機銃を戦車・装甲車、海軍艦艇、更には戦闘機や爆撃機などに万遍なく、これ一本勝負とばかりに大量に配備していました。


◎環境・健康問題 ~ 「バーンピット問題」他

米国内では、各地の米軍施設で環境問題が燻っています。特に周辺住民や市民団体が厳しい目を向けているのが水質問題で、基地・駐屯地周辺の地下水から基準を超える有害物質が度々検出されています。原因としては、航空機火災対処訓練で大量の消化剤を使用していることなどが指摘されていますが、「軍内部で汚染物質の処理要領が周知徹底されていない」との批判も出されています。在沖米軍施設・区域においても同様の問題が指摘され続けています。

また、戦場での廃棄物焼却業務に関わった米軍将兵等の健康問題が取り上げられています。米軍は、イラクやアフガニスタンの現場で大量に発生したゴミ類の処分を民間業者に委託し、米軍将兵と当該事業者が共働で野焼き処理していました。

後日、同地域から帰還した現役の将兵や退役軍人の一部に、通常より高い頻度で悪性腫瘍が発生していることが判明しました。焼却作業と悪性腫瘍発生の因果関係に関しては現在も精査が続けられていますが、米軍将兵、退役軍人及びその家族からの申立てを受け、連邦議会も調査と立法準備を進めています。

なお、イラクで従軍した経験を持つバイデン前副大統領の子息(陸軍大尉)も帰還後に脳腫瘍を発生し、後日落命しています。


2018.8.6

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第11号

◎「士官学校」入校準備講座

-「軍国主義」考(後編)-

女性や未成年者の動員についても、日独側と連合国側とではかなりの違いがありました。開戦で成年男性の多くが軍隊に動員されると、米英等は男性が抜けたポストに陸続と女性達を補職していきました。英本土航空戦を記録した映像には、防空指揮所で空軍の女性兵士達がレーダー情報をスクリーンや地図上に記載していく様子が記録されています。軍需工場にも多くの女性が働きに出かけ、砲弾や軍用機などの製造に汗を流していました。うら若い女性工員がリベット打ち機を片手にサンドウィッチをほお張る様子を描いたポスターには、米国社会の総力戦への確固たる決意が滲み出ています。

これに対してドイツでは、戦局が相当程度厳しくなるまで、当局は女性を軍需工場等に動員することに躊躇していました。第1次世界大戦末期に、ドイツ国民が生活環境の急速な悪化に怒り、最終的には革命・騒乱状態に陥って降伏に追い込まれた苦い記憶が影響していたとも言われています。

若年層の動員についても、ドイツ政府・軍当局は極めて抑制的な対応に終始しました。まず手始めに、ヒトラーユーゲントの志願者を武装親衛隊に受け入れて機甲師団を編成しましたが、その準備段階において若者達に軍事教練を施す案は見送られました。この他、都市部の生徒達が近隣の高射砲部隊の補助要員に動員されたりしましたが、いずれにしても控えめな段階に留まっていました。

このように、軍事独裁的な体制の日独よりも、民主主義体制をとる米英のほうが迅速かつ徹底的に戦時体制に移行していました。先の世界大戦は、似非(エセ)軍国主義国家日本が、本格派軍国主義国家である米英アングロアサクソン勢力に圧倒された戦いだったのかもしれません。


2018.7.30

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第10号

◎「士官学校」入校準備講座

-「軍国主義」考(前編)-

先の世界大戦に敗れた日本に対しては、戦後もずっと、国内外の勢力から「軍国主義」というレッテルが張られ続けてきました。対前年比増加率10%以上のハイペースで軍事費を増加させている国や、人民を餓死させて捻出した金で核ミサイルの開発に血道を上げる国は、特にこのキャンペーンに熱心なようです。

確かに、戦前・戦中の大日本帝国は、それこそ国力の過半を軍事予算に注ぎ込んできました。国民も多くが軍隊や軍需産業などに動員され、その多くが死傷しました。神宮外苑で行われた学徒動員壮行会の映像からは、雨降る中を武装した学徒達が行進する様が悲壮感とともに伝わってきます。

しかしながら、学徒動員にしても、理工学系の学生については暫時兵役免除が継続されていました。初等中等教育課程の生徒達についても、戦局が相当程度厳しくなるまでは本格的な勤労動員等は行われませんでした。要すれば、大日本帝国は「国民に優しい戦時動員態勢」を暫く維持していました。

一方で、1943年に慌てて学徒動員を本格化した日本を尻目に、米国はかなり昔から組織的・計画的に「学徒動員」を準備・実施していました。ROTC( Reserved Officers' Training Corps :予備役将校訓練課程)がそれで、一般大学に在籍する学生の一部は、学業と並行して軍事訓練を受けていました。これにより、有事到来に際しては、陸軍士官学校や海軍兵学校から供給される士官候補生だけでは絶対的に不足する下級将校要員が十分に確保される環境を整えていました。

ケネディ大統領をモデルにした映画「PT109」の冒頭シーンなどでは、この軍人供給システムが端的に描かれています。大学構内の広場には房の付いた角帽とガウンを身にまとった卒業生が着席して、学長からの祝辞を聞いています。その直後、全く同じ場所で、海軍士官の制服に身を包んだ若者達が、海軍の高級幹部から「大学卒業のこの日に、諸君達が国の為、海軍に志願してくれたことに感謝する」との訓示を受けています。


◎米陸軍 ~ ローテーション派遣

米国は冷戦時、欧州正面に26万名規模の在欧米軍を駐留させて旧ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍と対峙していました。当該駐留米軍人達は家族同伴で赴任していたことから、米軍基地・駐屯地等の中には米軍人家族用の住宅や学校、病院、購買部等が設置され、米軍関係者とその家族の福利厚生が図られていました。

冷戦終結後、米国政府は米軍全体の縮小を進める過程において、欧州に駐留させていた米軍部隊を順次米国本土に引き揚げました。駐留米軍用施設も順次閉鎖され、米軍が同盟国から借用していた土地も返還されました。

しかし、2014年にウクライナ紛争が激化し、ロシアの脅威が顕在化したことを受けて、米国政府は欧州における米軍のプレゼンス強化に舵を切りました。この際、米陸軍の師団、旅団を再び欧州各地に駐留させるには様々なハードル(同盟国政府との交渉・調整、施設建設費の確保 等)があったことから、国防総省は米陸軍の戦闘旅団や米空軍の戦闘飛行隊等をローテーションで欧州各地に派遣する方式を採用しました。

現在、米陸軍の戦闘旅団は欧州、クウェート及び韓国にローテーション派遣(9ヶ月間程度)されています。2014年以降、欧州に派遣されている戦闘旅団は、ドイツの在欧米陸軍駐屯地をベースに東欧各地に「出稽古(合同演習)」に励んでいます。その際、現地軍部隊の将兵達の(比較的質素な)戦闘糧食に鑑みて、在欧米陸軍司令官等は「これまで貴官達が派遣されてきた地域には『バーガーキング』等が出店していたが、東欧では、それはない」と訓示しています。


2018.7.23

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第9号

◎「士官学校」入校準備講座

-戦死者は雄弁に語る(後編)-

食事は数少ない楽しみの一つであることから、毎食の献立を詳細に記している兵士もいて、これを整理すれば日本軍の補給状況なども概ね推測できたそうです。また、落命して間もない日本軍将兵の遺体も、軍医とともにその状況を子細に観察すれば、栄養状態や疾病対策の良否などがかなり分かりました。

前線で使用している兵器類について、兵士たちが日記に「コイツ(大砲、機関銃 等)は故障ばっかりしている。愛国心が足りない。」などと書いていれば、兵器類の品質や精度が低下している可能性が推測されます。勿論、遺棄された敵軍の兵器等からも重要な情報が得られます。武器本体は大きなダメージ等を被っていないにもかかわらずあまり使用されていないようであれば、補修用の部品や機材が十分に携行・補給されていない可能性があります。

更に、戦場に遺棄されている戦死者等の遺体は、軍隊において将兵達がどのように取り扱われていたかを明瞭に示していました。旧日本陸軍のように「兵隊など一銭五厘(=召集令状用軍事郵便の料金に例えた話)でいくらでも集められるのだ」と言ってはばからない組織では、戦死・戦病死した兵士の遺体は、移送や埋葬の余裕が無い戦時中は勿論のこと、戦後もその遺骨収集事業は遅々として進みませんでした。

これに対して、米軍の場合は「兵士は市民社会からお預かりした大切なもの」という基本理念が徹底していましたので、戦死者等を戦場に遺棄するなど論外でした。ベトナム戦争で行方不明になった将兵( Missing In Action )については、冷戦の影響が薄くなるや、ベトナム政府に働きかけて米軍戦闘機の墜落現場付近などを徹底的に掘り返したりしています。現在も、朝鮮戦争中のMIA捜索を図るべく、米国政府関係者が北朝鮮政府と交渉しています。


◎軽攻撃機

米空軍は、現在A-10攻撃機やF-16戦闘機等で実施している友軍地上部隊への近接航空支援(空爆)を軽攻撃機に肩代わりさせる構想を検討しています。初等練習機に精密誘導爆弾、ロケット弾、機関砲等を搭載し、その低速度を活かしてより高精度の対地攻撃を実現しようとするアイデアです。機体が低価格で整備負担が少なく、操縦も容易であることも本構想の魅力です。ロシアや中国といった「本格派」に対してはF-15、F-16、F-35等で、ゲリ・コマに対しては軽攻撃機で対処する棲み分けにより、効率の良い運用が期待されています。一方で、低高度を軽装甲の攻撃機が低速度で飛行することにより、攻撃機が撃墜される危険性が高まるとの指摘もあり、今後議論が活発になりそうです。


2018.7.16

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第8号

◎「士官学校」入校準備講座

-戦死者は雄弁に語る(前編)-

交戦中の軍当局が恐れることの一つに情報漏洩があり、自軍に関する情報が敵軍に知られないために様々な施策がとられていました。動員に際しては、家族にも派遣先や期間などを話してはいけませんでした。戦地から家族などに送る手紙についても、展開地域や軍機情報などに触れていないか、旧日本軍では厳重な検閲が行われていました。

軍機の保全については米軍も厳格で、戦地では日記をつけることを厳禁していました。何気なく書き記した事柄でも、敵軍の情報担当官にかかれば貴重な情報になり得るからでした。これに対して旧日本軍においては、日記の携行、記載については特段の規制等はなかったようです。日本軍が将兵に日記の携行を許していたことは、結果的には米軍側に膨大かつ貴重な情報をもたらすことになりました。

米軍は日本語に堪能な情報将校を多数養成して前線近くに配属していましたが、それら情報将校達は戦闘部隊の将兵達に「戦死・戦病死した日本兵が所持していた日記、手紙などは大事に保全して、情報部門まで送ってもらいたい」旨を徹底していました。この結果、ガダルカナル島やニューギニア戦線等で倒れた日本軍将兵が所持していた日記などが米軍の情報将校に届けられました。

それら日記等には、日本本土から戦地までの移動経路やその間に見聞したこと、或いは、戦地における自身や部隊の状況(武器・弾薬類の状況、糧食の多寡、士気の高低 等)が詳細に記されていました。米軍の情報将校達はそれらの記録を丹念に読み、内容を整理した上で日本軍の置かれた状況等の分析を行いました。


◎AI

人工知能の急速な進歩に関しては様々な報道から周知のことですが、当然のことながら、軍事の世界でもAIは注目されています。敵の出方を予測したり、日常の業務において問題が発生し易いポイントを指摘したりと、軍部隊にとって頼りがいのある「アドバイザー」になることが期待されています。

一方で、所謂「殺人ロボット」を開発して戦場に投入するリスクについても議論が始まっています。映画「ターミネーター」のような人工知能搭載型の戦闘ロボットが縦横無尽に暴れ回る状況が想定されることから、そのような兵器の是非を巡って議論が進められています。ドイツ政府の幹部は「殺人ロボットは開発、装備化しない」と発言していますが、ロシアや中国などが着々と開発、実戦配備を進めた場合に如何に対処すべきかなど、課題は山積です。


2018.7.9

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第7号

◎「士官学校」入校準備講座

-捕虜は「宝の山」(後編)-

一方の米軍は、日本軍捕虜から情報を得るための準備を進めていました。1年間近くの期間を掛けて日本語専門の情報将校を養成し、太平洋戦域に送り出しました。この教育課程は相当厳しいものであったらしく、教育期間中に何人もの課程学生が自殺したそうです。

ちなみに、その情報将校養成学校には白人の軍人だけが入校を許され、より短期間に養成が期待できた日系人将兵は除外されていました。米軍当局としては、日系の将兵達が米国に忠誠を誓っているとはいえ、まだ日系人を完全に信頼するまでには至っていなかったのかもしれません。

このようにして育成された情報将校達は、捕虜となった日本兵達を尋問しました。これに先立って、上級司令部から情報将校達には以下のような「コツ」が伝授されていました。「最初は『殺される』と怯えている日本兵捕虜達は、我軍の手厚い看護や食事などに感謝の気持ちを抱くようになる。このタイミングを逃さずに尋問して、出来るだけ多くの情報を得るのだ。」

米軍の情報将校達はこの指示に従って、日本人捕虜達が米軍側の対応に感謝している間に聞き取りに勤しみました。尋問に協力的ではない日本人捕虜(将校、パイロットなどの職業軍人等)については、情報将校は「貴君の状況について、国際赤十字等を通じて日本政府に連絡しようと思うのだが・・・。」と持掛けたりしたそうです。日本人捕虜はほぼ例外なく、自分が捕虜になったことを日本軍当局や故郷に知られたくなかったので、このような「脅し」は結構効果的だったそうです。

やがて米軍から提供される食事などに慣れてくると、日本人捕虜達はありがたみを感じなくなり、聴取にも協力的ではなくなってきました。米軍側は、このように情報源としての価値が減じてきた捕虜については、豪州等に設置した別の捕虜収容施設に後送し、戦争が終わるまで管理していました。


◎米海兵隊

米海兵隊は、紛争地域や政情不安定な地域に所在する米国の在外公館(大使館 等)の防護、救援という任務を担っています。オバマ政権時に米国とキューバが国交を正常化した際、在キューバ米国大使館の(再)開所セレモニーでは米国らしい演出が見られました。

大使館の前庭では国旗を掲揚するために正装した海兵隊員3名が待機しており、そこに断交時に同大使館を警備していた元海兵隊員3名が三角形に折りたたんだ星条旗を運んで来ました。相互に敬礼した後、星条旗は元海兵隊員から現職の海兵隊員に手渡され、ケリー国務長官(当時)他が見守るなか、国歌が演奏される中を米国旗が掲揚されました。

リビア領内の領事館が暴徒の襲撃を受けて全権大使他の外交官が死傷した所謂「ベンガジ事件」により、米海兵隊は在外公館警備体制の見直しを行いました。その一環として、米国政府は南欧、東欧、アフリカ大陸に米海兵隊の活動拠点を増やすことにしました。東欧では対ロシア抑止力強化として、アフリカではIS系イスラム武装勢力掃討作戦への支援として、米海兵隊に活動拠点を提供する各国から前向きな対応を得ています。


2018.7.2

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第6号

◎「士官学校」入校準備講座

-捕虜は「宝の山」(前編)-

戦時捕虜は、限界まで戦って「矢尽き、刀折れて」敵の軍門に下った者として、敵味方から勇者として遇されるのが一般的です。しかしながら、旧日本軍においては事情が全く違っていました。1941年1月に時の陸軍大臣・東条英機が示達した「戦陣訓」では、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」が強調されました。

要すれば、旧日本軍は将兵に「帝国軍人たるもの、捕虜になるくらいなら潔く自決せよ」という意識を徹底させ、玉砕戦法を貫徹しました。武器の性能も弾薬・糧食等の補給体制も劣位にあった旧日本軍では、「武器・弾薬・糧食・医薬品等が尽きたら降伏してもいいよ」では、あっという間に戦線が崩壊することは容易に予測されました。

旧日本軍の上層部が「戦陣訓」を発出するきっかけの一つとして、北アフリカ戦線で崩壊したイタリア軍の惨状が指摘されています。補給が途絶えて継戦能力を喪失したイタリア軍の捕虜達は、英軍兵士に銃剣を突き付けられながら、砂漠の中を捕虜収容施設まで延々と移動しました。その写真は世界中に配信され、旧日本軍首脳に少なからぬ衝撃を与えたものと推測されます。

将兵に捕虜になることを厳禁した日本軍においては、当然のことながら、捕虜になった場合の対応振りに関する教育・訓練は施されませんでした。「捕虜になった場合、氏名、生年月日、認識番号以外のことは答えなくてもよい。」「間違っても、友軍に関する機密や動向に関する事項については話すなよ!」という、ごくごく当たり前のことさえ、日本軍将兵は教えられていませんでした。

戦闘が激化してくると、戦場で瀕死の重傷を負うなどして米軍に救助される日本軍将兵が出てきました。捕虜になった当初は、恥辱感や罪悪感などでどうしていいか分からなかった日本人捕虜達も、米軍側が提供してくれる食事や看護などに感謝するようになってきたそうです。日本人捕虜達は、捕虜になる前は上官から「敵の捕虜になったら惨たらしい方法で殺される。」と徹底的に教え込まれていたので、親切に怪我の手当てなどをしてくれる米軍に対して、敵愾心や警戒心が急速に薄れていったものと推測されます。


◎余剰軍関連施設の統廃合

全米各地にある余剰施設の統廃合が遅々として進んでいません。国防総省は「2027年度までに全関連施設の22%を整理・統合することで20億ドル規模の経費節減が可能」と試算しています。しかし、選挙区に当該余剰施設を抱える連邦議会議員や州政府関係者は頑なに抵抗を続けています。航空基地等は人口稠密地域を避けて過疎地に設置されることが多く、当該基地等が地域経済に大きな役割を果たしている場合も少なくありません。関係する議員達は「よその基地から飛行隊を引っ張ってこい」「米軍の立直しが始まればこの基地も再稼働になる」と、一歩も引く気配はありません。


2018.6.25 

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第5号  

◎「士官学校」入校準備講座 

-捕虜を生かすも殺すも(後編)- 

ソ連に占領されたポーランド東部地域では、ソ連当局はポーランド人という新たな民族を管理しなければならなくなりました。ソ連領内ではそれ以前にも、ロシア人の支配に反発する各民族による反乱が絶えませんでした。第1次世界大戦の結果、ようやく独立を回復したポーランド人が、新たな支配者となったソ連に対して反抗に立ち上がる蓋然性は高いと考えられました。 

ソ連としては、ポーランド人による反乱を未然に防止するためには、反乱の中核となるポテンシャルを有する軍の将校や官僚達を亡き者にしてしまうのが手っ取り早く、かつ確実な措置でした。かくしてソ連内務省・秘密警察(KGB)によってポーランド軍将校及び政府関係者1万人以上が射殺され、彼らの遺体はソ連国内の3か所に秘密裏に埋められました。 

ベトナム戦争を題材とする映画「プラトーン」で、偵察中に敵兵の腐乱死体を見つけて怯える新兵に、ベテランの兵士が諭します。「怖がることはねえ。コイツ(敵兵の死体)はイイ子だ。悪さはしねえ。」 

ソ連がいつまでもポーランド軍捕虜や政府関係者を拘束していると、やがてポーランド国内や国際社会から批判が湧き上がってきます。捕虜等を1万人以上抱えていることで、食事や医療などに費やされるソ連側の負担もバカにはなりません。かくして、ソ連当局としてはそれらポーランド人捕虜等に「イイ子」になってもらうことに決したものと推測されます。 

 

◎米海兵隊 ~ 七つの海を股に掛ける「殴り込み野郎」

米海兵隊は「世界のどこにでも短時間で兵力投入が可能」という有事即応性が特徴の軍種です。この「殴り込み野郎」達は、同盟国、友好国軍部隊との合同演習を通してその練度の維持、強化を図っています。毎年タイ王国で実施される合同演習「コブラゴールド」では、サバイバル訓練の一環として各国軍将兵がヘビの生き血を飲む姿が報じられています。

米海兵隊は、ローテーションで遠征打撃群の強襲揚陸艦等に戦闘部隊と装備を載せ、半年間程度の哨戒任務を実施しています。併せて、米海軍と海兵隊は海兵隊用重装備等の洋上備蓄の充実、強化を図っています。

ただし、米海軍が保有する輸送艦だけではローテーションを組むのが難しいことから、NATO加盟国から交代で輸送艦を提供してもらうべく調整を進めています。事前調査で欧州各国の輸送艦に試乗した米海兵隊員達は「(欧州各国の輸送艦は)米艦に比べてゆったりとした構造になっており、長期間の洋上勤務を快適に過ごせるように考えられている」とコメントしています。 



2018.6.18


「2時間で卒業できる『士官学校』」 第4号

◎「士官学校」入校準備講座 

-捕虜を生かすも殺すも(前編)- 

先の世界大戦では、欧米民主主義国の軍隊においては、敵軍の捕虜は国際法に従って概ね適切に取り扱われていました。一方で、人権思想や自国民・議会等によるチェックが皆無の国々では、戦時中に捕虜の虐待・虐殺などが横行していました。社会的成熟度の差異等によって、前者の捕虜になった将兵は捕虜生活の後に祖国帰還を果たし、後者の捕虜になった将兵の多くが命を落としました。

後者の代表例として有名なのが「カチンの森事件」です。1939年9月に始まったドイツによるポーランド侵攻では、後日、独ソ間の秘密協定に基づいてソ連軍が東側から同国に侵入し、ポーランドという国は地球上から消滅しました。この戦闘の結果、ドイツとソ連は降伏したポーランド軍将兵を捕虜としましたが、ソ連が管理していた捕虜達については、同国政府関係者等とともに、行方が分からなくなってしまいました。

その後、1941年6月に独ソ戦が始まると、ソ連国内で一進一退の攻防戦が続きました。  そのような中で、ドイツ軍部隊が森の中に何千もの遺体が埋められているのを発見し、掘り返してみると、それらの遺体は数年前から行方不明になっていたポーランド人捕虜等であることが判明しました。ソ連側は「これはドイツ軍による自作自演である」と自国の関与を否定しましたが、ドイツ側が中立国及び交戦中の連合軍関係者を現地に招き入れ、検証の機会を与えると、当該遺体群はソ連による捕虜虐殺によるものとの見方が濃厚になってきました。

冷戦が終結してソ連が崩壊すると、ロシア政府はポーランドに対して公式に謝罪を行い、戦時下からの泥仕合は決着をみました。このような捕虜等の虐殺はなぜ発生したのでしょうか。原因の一つに、ソ連当局が捕虜(特に将校)や拘束したポーランド政府関係者が反乱等の中核となることを懸念した可能性が考えられます。 


◎全周囲警戒システム

各国の陸軍、海兵隊が開発、実用化に注力しているのが本技術です。戦車や装甲戦闘車両等に飛来する対戦車ミサイル、ロケット砲弾等を車体の直前で破砕・無力化するための装置は、市街戦など敵から至近距離から狙われるリスクが高い状況では極めて重要なものです。高感度センサーで車体周辺を監視し、ミサイル等を検知した場合は小型ミサイル等を当該脅威の至近距離で爆発させて破壊します。防護対象の車両の周囲にバーストカーテン発生装置をセットし、爆風のカーテンで飛翔物を無力化する技術も開発されています。米陸軍等は、豊富な実戦経験を基に開発されたイスラエル製装置等を最終候補にリストアップして審査を進めています。 


2018.6.11

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第3号

◎「士官学校」入校準備講座

-捕虜という「任務」(後編)-

しかしこの出来事は、ドイツ人捕虜達に思わぬ副産物をもたらしました。英本土の捕虜収容所から脱走を試みる事案が後を絶たず、英軍側の警備の負担が増加しつつありました。ドイツが支配下に置くフランスは指呼の間にありますし、ドイツ海軍が潜水艦や高速ボートなどを動員すれば、脱走した捕虜達を回収することも決して不可能ではありませんでした。困った英軍当局は、ドイツ人捕虜の一部をカナダに設置した捕虜収容所に移すことにしました。

カナダへ移送されることになったドイツ人捕虜達は輸送船に乗せられて、大西洋を横断する旅路に就くことになりました。いうまでもなく、戦時中の大西洋はドイツ海軍の潜水艦(U-ボート)が暴れまわる海域であり、連合国の船舶を次々と撃沈していました。ドイツ人捕虜の中にはU-ボートに乗り組んでいた海軍士官もおり、船がカナダの港に着くまでは生きた心地がしなかったそうです。

カナダの捕虜収容所に移されたドイツ人捕虜達は、ベテランが若手に戦術・運用に関する教育を施すことにしました。戦時においては、交戦国の間で捕虜交換が行われる可能性も残されていましたので、十分な実戦経験を積む前に捕虜になった若手将校達のレベルアップを図ったわけです。また捕虜達は、管理側から自由に提供される新聞、雑誌等を読み漁り、連合国特に米国における軍事力整備に関する情報を収集、整理しました。

国内の報道規制が緩やかだった米国においては、各企業が軍からの受注案件も含めて自社の業績を紙上でアピールしていたので、公表されている情報などから航空母艦などの主要艦艇や作戦用機などの生産状況を推計することも出来ました。このようにして収集、分析された情報は、各自がドイツ国内の家族などに宛てた手紙の中に、予め決められた暗号に変換されて記載され、ドイツへ郵送されました。ドイツ国内では、軍情報部のスタッフがそれらの情報を整理、分析して参謀本部や同盟国の駐在武官などに提供していました。

連合軍(米軍、英軍等)側の捕虜達も負けてはいませんでした。ドイツ国内の捕虜収容所では幾多の脱走計画が実施に移されて、ドイツ軍・警察等に混乱をもたらしました。その中でも有名なのが映画「大脱走( Great Escape )」で有名な一件で、1944年3月にドイツ空軍が管理する捕虜収容所から1回で76名もの連合軍捕虜が脱走しました。

この脱走で無事にスウェーデンなどの中立国に逃げ込めたのは3名程で、他の捕虜達は逃走中に逮捕されました。脱走者の中で秘密警察(ゲシュタポ)に逮捕された50名は射殺されました。このように、本脱走計画は多大な犠牲を伴うものでしたが、結果的には延べで約700万名とも言われる捜査要員の投入をドイツ側に強いたと言われています。


○シミュレーター

IT関連技術の発達によりVR(バーチャルリアリティ)を活用した各種製品(ゲーム等)が続々と世に送り出されています。軍事の世界も同様で、訓練分野においてシミュレーターの導入が積極的に進められています。

陸軍、海兵隊は、中東地域の市街地や村落を忠実に再現し、各種脅威(簡易型爆発物、待伏せ攻撃 等)のシナリオに沿って戦闘訓練が行えるシステムを導入しています。リアルな戦闘訓練場においてバラエティの幅を拡げるにはコストの問題があるものの、シミュレーターではほぼ無制限に様々なシーンを創ることが可能です。より現場感を盛り上げるため、その土地独特の臭いを再現するなどの試みも進められています。

海軍の場合、戦闘訓練に加えて操艦訓練に力を入れています。訓練センターでは、衝突事故が起こりやすい港湾エリアを再現し、日頃操艦動作を担当する機会の少ない若手士官達に繰り返し諸動作を体感させています。

空軍の場合、実機を飛ばすコストが高いこともあり、シミュレーターの導入には積極的です。荒天時の対処要領に関しては計画的に実施することは困難で、出来れば実際の場面に遭遇する前に場数を踏んでおきたい訓練項目として重宝しているようです。更に、機体トラブル時の対処訓練も行われています。シミュレーションでは、実機で使われているオイル類がコクピット内に飛散するような装置も活用され、訓練後の研修生はオイルまみれでコクピットから這い出してきます。


2018.6.4 

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第2号 

◎「士官学校」入校準備講座 

-捕虜という「任務」(前編)- 

欧米諸国の軍隊においては、勇戦奮闘したものの負傷し、或いは弾薬、食料、医薬品などが底をついて戦闘継続が困難になった場合、将兵は敵軍に降伏することになります。  一方で、旧日本軍においては、有名な「戦陣訓」によって捕虜になることは厳禁とされていたことから、最後の一兵が戦死するまで戦うことを求められた結果、太平洋の島嶼において幾多の玉砕が発生しました。ここでは、欧米各国の軍隊に関して、捕虜となった将兵達に求められた役割・責務について考えてみたいと思います。 

戦時捕虜については、戦時国際法により、捉えた側にそれら捕虜達を保護・管理する義務が生じます。捕虜を得た軍部隊は、捕虜達を戦域から安全な地域へ輸送し、捕虜収容所を設置・運営しなければなりません。この間、当然のことながら、捕虜達には食事を与え、適切な医療措置なども施さなければなりません。管理側はこれら措置のために少なからぬコストとマンパワーを割かなければならず、捕虜を抱える軍部隊にとっては大きな負担となりました。 

一方で捕虜達は、捕虜収容所毎に「脱走委員会」を立ち上げて、一人でも多くの仲間を捕虜収容所から脱走させようと画策しました。捕虜達は、密かに脱出用の地下トンネルを掘削しながら、並行して被服係、身分証明書偽造係、情報収集係などに分かれて、脱走する仲間に必要な物品(私服、食料、偽造身分証明書等)や情報(交通事情、敵軍・警察の警戒状況等)などを準備しました。彼らは上官から「軍人である以上、捕虜となった後も、脱走によって敵の軍や警察に捜索の負担を掛け、敵国の戦力ダウンに寄与すべき義務がある」との教育・訓練を受けていたからです。 

第2次世界大戦の欧州戦域においては、ドイツ・連合国双方の捕虜達が敵国の捕虜収容所から脱出を試みました。搭乗機が撃墜されて英軍の捕虜になったドイツ空軍の将校のなかには、敵である英空軍の戦闘機を奪取して英仏海峡を飛び越えようとした強者もいたそうです。この件では、捕虜達が乗り逃げしようとした(英空軍の)戦闘機が修理待ちの故障機であったことから、離陸後すぐに不時着となり、あえなく再び英軍に捕らえられたそうです。 

この冒険心に溢れたドイツ人捕虜達の行動は、「敵ながらあっぱれ!」と、英軍将兵達にも感動をもって受け止められました。当該脱走者達は英軍施設で盛大なもてなしを受けた上に、ビスケットなどの嗜好品をどっさりプレゼントされて捕虜収容所に送り返されたそうです。英国側に余裕があり、また同じ欧州に住む隣人という歴史的背景も手伝って、戦時にあってある種爽やかなエピソードが残されたものと思われます。

 

◎兵器調達システム

国防総省・米軍当局の頭痛のタネが装備調達の煩雑な手続きです。物品調達を行う際に準拠すべき規定は全体で10万ページを越えるボリュームであると伝えられています。ペンタゴンは本年(2018年)2月、装備調達・技術開発担当の国防次官ポストを新設して業務効率の改善を目指しています。国防総省傘下の調達・研究開発組織を「短期的に実用化すべき装備を担当する部局」と「中長期的なテーマを持続的に推進する部局」にグループ分けし、それぞれのトップに担当の国防次官を置く体制に移行しています。

更に、米軍幹部をこれまで以上に調達プロセスに参画させる方向で制度設計が進められています。日々刻々の部隊運用等で多忙な各級司令官や参謀達の負担が増すことになりますが、「開発部門に現場の新鮮な声は不可欠」との判断が優先された模様です。

国防総省はまた、外部の知恵を積極的に取り入れる姿勢を明確にしています。カーター前国防長官がシリコンバレー、ボストンなど全米4箇所に設置したDefense Innovation Unit Experimental(DIUx)は着々と投資対象事業を増やしつつあります。「ワシントン流の冗長なペーパーワークには付き合いきれない」というシリコンバレーの起業家達が納得するような効率の良い制度を編み出せるのか、内外の注目が集まっています。


2018.5.28

「2時間で卒業できる『士官学校』」 第1号

ご挨拶

このたび、軍事組織の士官候補生が基礎的素養として学ぶ内容を分かり易く解説する講座を起ち上げることになりました。

本企画のきっかけは、北朝鮮による弾道弾発射実験に伴うJ-アラートを体験した方々との会話でした。本警報を体験された方々は皆「気味が悪い」と仰っていましたが、会話・議論は次第に「戦争・戦闘に関しても、自然災害、流行性疾病などと同様、正しく怖がるべきではないでしょうか」という方向に収斂されていきました。

この言葉を受けて、防衛大学校OB等の有志が安全保障・軍事に関連する基礎的事項を整理し、コンパクトで分かり易い解説を試みることになりました。パワーポイント資料が完成次第、出張講義に対応する計画ですが、それまでの間、参考となる情報を掲載していきたいと思います。

是非お付き合い下さい。

「2時間で卒業できる『士官学校』」制作委員会

◎「士官学校」入校準備講座

-「7.62ミリ弾? それとも5.56ミリ弾?」-

貴方が国防大臣を拝命した場合、軍隊が装備する自動小銃には次のどちらの銃を選びますか? → → → A.7.62ミリ弾使用の自動小銃  B.5.56ミリ弾使用の自動小銃

「A.7.62ミリ弾使用の自動小銃」を選んだ方は、その長射程と弾頭の破壊力(≒殺傷力)を評価したものと思います。7.62ミリ弾は、ご存じのとおり、所謂「NATO弾」と呼ばれる軍用の弾丸で、自衛隊も64式自動小銃や軽機関銃の弾丸として採用してきました。これに対して5.56ミリ弾は、米軍のM16等で使用される、前者より小型軽量な弾丸です。

7.62ミリ弾は、5.56ミリ弾と比較した場合、敵兵に命中した際の破壊力がより大きいことから、その兵士が死亡する確率が高くなります。一方で、5.56ミリ弾が命中した敵兵は、死亡せずに負傷兵となる確率がより高くなることが想定されます。戦闘継続中は、死亡した戦友については(戦闘が一段落するまでは)放置しておくことになります。しかし、負傷した戦友となると、そうもいきません。

唱歌「戦友」でも、敵弾に倒れた戦友を・・・「軍律厳しいなかなれど これが見捨てておかりょうか」・・・「折から起る突貫に 友はようよう顔あげて『お国のためだかまわずに 後れてくれるな』と目に涙」・・・と介護する様子が描かれています。旧日本軍の場合はともかく、多くの軍隊では、戦傷者については複数の兵士が後方の安全なエリアまで搬送することになります。負傷した戦友を決して見捨ててはならないことは、米軍などではイロハのイとして新兵教育で叩き込まれるそうです。

いずれにしても、負傷兵が発生した側においては、負傷者を野戦病院等に後送するために数名の兵士が前線から離脱することになります。このように、5.56ミリ弾を使用した場合、敵側により多くの負傷兵を抱え込ませ、一時的にせよ戦闘力を低下させることが期待されます。

更に、より小型の弾丸であれば、一人の兵士がより多くの弾丸を携行できますし、原材料の軽減によって製造コストのダウンも期待できます。各国の軍隊がより小型の弾丸を使用する自動小銃を採用する流れは、上述のような事情によるものと考えられます。

なお、米軍は現在、「ロシア等が5.56ミリ弾を貫通させない防弾装具を開発、配備し始めており、各地のゲリ・コマにも当該防弾着等を供給しつつある」として、より貫通力、破壊力の高い弾丸への変更を検討しています。有力候補として6.5ミリ弾が浮上している模様です。 


◎米空軍

新たな軍種を創設すべきか否かで米空軍が困惑しています。

各国の国防当局は、これからの戦争は所謂「フィフスドメイン(陸・海・空・宇宙・サイバー)」が複雑に絡み合いながら展開すると想定しています。この流れの中で、大統領府や連邦議会から「米空軍から『宇宙軍(Space command)』を独立させるべき」との意見が出されています。

米空軍は「大気圏での活動と宇宙空間での活動は連続性を有しており、これらを一体的に運用する方が合理的」「新たな軍種(宇宙軍)に司令部、管理部門等を新設することや、米軍内の指揮・命令系統が複雑化することのデメリットを無視すべきではない」と防戦に躍起です。

2019年度国防権限法案では宇宙軍新設案は否決されましたが、トランプ大統領他の推進派は諦めておらず、米空軍にとっての「スターウォーズ」はまだ暫く続きそうです。