ご参考(クイズ&解説)


【問題1】
 米海軍主催で実施されている環太平洋海軍合同演習(リムパック)ですが、2015年は中国海軍が初めて同演習に参加して注目を集めました。そのせいか、もう一つの初参加国であるノルウェー海軍については殆ど話題になりませんでした。ノルウェー海軍が同演習に参加した目的の一つは、米国の企業とも連携しながら開発した新型対艦ミサイルを各国海軍にアピールすることでした。ミサイルの試射では見事に標的に命中させ、ノルウェー海軍の駆逐艦としては遠路はるばるハワイ沖までやってきた苦労が報われました。「苦労」といえば、同駆逐艦が今回の演習に参加するにあたっては、思いもよらない問題が発生しました。どのような問題だったのでしょうか。

<解説>
 2015年度のリムパックに派遣されることになったノルウェー海軍の駆逐艦には冷房装置がありませんでした。同国は北極圏を含む高緯度地域に位置しており、同国海軍の主な活動範囲は北大西洋と(せいぜいが)バルト海であることから、艦艇の一部には防暑対策が考慮されていませんでした。対艦ミサイルの発射展示を担当することになった駆逐艦は、そのような「ノー冷房」艦船の一隻であったことから、急遽冷房装置を取り付けてハワイ沖へ向かうことになりました。
 第2次世界大戦当時も、低緯度海域(赤道付近)での艦船の航行は難事でした。1940年当時、北アフリカ戦線でドイツ・イタリアの枢軸国軍に押され気味だった英国は、英連邦配下の豪州とニュージーランドに地上部隊の派遣を要請しました。両国は当時、日本が南方進出を伺っていた状況もあり、英国の当該派兵要請を躊躇していましたが、最終的には各1個師団を中東地域に派遣することになりました。
 豪州とニュージーランドから中東地域に地上部隊を派遣する場合、当該部隊を輸送する輸送船はどうしてもインド洋上の赤道を越えなければなりませんでした。冷房装置がまだ開発されていなかった当時、数千名の将兵が乗船する輸送船には直上から太陽光線が降り注ぐことになり、将兵達は数日間猛暑に晒される虞がありました。
 そこで、派兵要請をした英国が高速の豪華客船をチャーターして両国に提供することになりました。航行中は、客船のハッチ等を開放して風通しを良くするとともに、多数の扇風機を使って船内の熱気を機械的に排除するようにしました。それらの防暑対策が奏功したのか、豪州軍部隊とニュージーランド軍部隊は共に、北アフリカ戦線でドイツ軍を苦しめる善戦を見せました。


【問題2】
 シリアでISと有志連合軍との戦いが続くなか、2015年11月24日にトルコ空軍機が領空侵犯と認定したロシア空軍機を撃墜して緊張が高まりました。両国の激しい非難合戦が続く中、ロシア海軍の艦隊がトルコのボスポラス海峡を通過しようとしましたが、一部の艦船について書類の不備があったことから、ロシア艦隊は一時足止めさせられることになりました。その際、ロシア海軍の艦船の甲板で水兵がロケット砲を構えている様子が撮影され、トルコ政府はロシア大使を呼びつけて「挑発的な行為であり、断固非難する」と激しく抗議しました。ネットで「ロシア艦隊」「ボスポラス海峡」「ロケット砲」等で検索すると問題の画像等を見ることが出来ますので、それを踏まえて所感を述べて下さい。

<解説>
 問題となったロシア海軍艦船の写真では、確かに甲板上のロシア軍水兵は何やら小型のロケット砲のようなものを構えています。しかし、当該水兵が構えているロケット砲らしき装備をよく見ると、それは「9K」シリーズと呼ばれる携帯式地対空ミサイルシステム(細身の発射筒が特徴)であることが分かります。これは、地上の目標(敵の戦車やトーチカ 等)に向けて発射する兵器ではなく、敵の軍用機(含 軍用ヘリ)を地上から攻撃するための小型地対空ミサイルで、米国製のFIM-43レッドアイやFIM-92スティンガーに相当する部隊等自衛用火器です。
 騒動の渦中にボスポラス海峡を通過するロシア海軍の艦船としては、自艦に対する様々なリスクに対処しなければなりません。具体的には、反露感情から一部のトルコ国民がドローン等を使ってロシア軍艦船に攻撃を仕掛けてくるかもしれません。ISのテロリストが、小型飛行機を調達して9.11のような自爆テロ攻撃を加えてくるかもしれません。
 ボスポラス海峡を管理するトルコ政府には、ロシア軍の艦船を含む全ての通航船舶の安全確保に努める責務がありますので、同国政府は万全の警備態勢を敷かいているものと思われます。しかし、テロ攻撃では攻撃側(テロリスト)が断然有利ですから、ロシア海軍としても用心の上にも用心をして同海峡を通過しなければなりません。
 2000年10月、中東のアデン湾の港に停泊中の米海軍ミサイル駆逐艦コールがアルカイーダによる自爆攻撃を受け、乗員17名が死亡、39名が負傷する事件がありました。停泊中若しくは水路等を低速で航行中の艦船は、爆薬を搭載した小型ボート等による体当り自爆テロ攻撃に対して極めて脆弱です。ロシア海軍の将兵も、命を的(まと)の仕事とはいえムザムザ死にたくはないでしょうから、洋上及び空からのテロ攻撃に対して厳重な警戒を怠るわけにはいきません。
 問題となった写真のロシア軍水兵が構える携帯型地対空ミサイルは、そのようなロシア海軍艦船としての当然の警戒・自衛措置であったと考えられます。


 昨年(2015年)末の同時テロの舞台となったフランスですが、第2次世界大戦では早々にナチスドイツの軍門に下り、フランス国民はドイツ軍による支配という苦難の時期を過ごしました(1940年6月~)。第3問は、そのドイツ軍占領下のフランスで見られたあるシーンから出題したいと思います。

【問題3】
 第2次世界大戦後半の1944年春、フランス北部の海岸地域では米英連合軍の大陸反攻作戦に備えてドイツ軍が防御陣地の構築を急いでいました。同地域には数十万名規模のドイツ軍部隊が配備されていましたが、その多くは東部戦線(ドイツ対ソ連)での激戦で疲弊し切った部隊でした。それらの部隊は、フランス北部で休養しながら、兵員・装備を補充するなどして部隊の再編制を行っていました。併せて、急遽動員された高齢者と未成年者多数がドイツ本国から派遣されて、陣地構築や防御戦闘訓練に明け暮れていました。
 そのようなある日、海岸線を歩いていたドイツ軍の軍曹が、携行していた猟銃をサッと構えるや発砲し、見事に鳩を仕留めました。同軍曹は撃ち落とした鳩を手に嬉しそうな表情を浮かべ、駐屯地に向かって歩いていきました。軍曹が所属する部隊は、数か月前まで東部戦線でソ連軍と激しい戦闘を繰り広げていましたが、フランス北部の防備強化のために東欧から同地に移動してきました。
 勤務時間中にもかかわらず猟銃を持ち出して鳩撃ちに興じる軍曹の様子から、フランス北部に駐留していた当時のドイツ軍の状況などについて所感を述べて下さい。

例;
 戦況が厳しくなるなか、ドイツ軍の食糧事情も厳しく、せめてビールのつまみ位自給しようと思ったのか?
 苛烈を極める東部戦線に比べると天国のようなフランスでの勤務で、将兵達の気が緩んでいるのか?
 鳥撃ちは、陣地構築と防御訓練の繰り返しという単調な日々の中で、何か刺激・変化を求めたい心理から出た行動ではないか?
 部隊の指揮官も、東部戦線での激戦で疲れた将兵を休ませてやりたいと思い、多少の規律の緩みにも暫時目をつぶっているのか?
等々

<解説>
 猟銃を手に海岸近くを歩いていたドイツ軍の軍曹は、実はフランスの地下抵抗組織(レジスタンス)が英国に向けて放つ伝書鳩を撃ち落とす任務に従事しているところでした。当時、英国本土の連合軍情報部は、来るべき連合軍のノルマンディ地区への上陸作戦に備えて、フランス北部に布陣するドイツ軍に関する情報の収集に力を入れていました。現地のドイツ軍の動向(配備部隊、その規模、要塞の位置 等)に関しては、航空偵察で得られた写真を分析するとともに、現地のフランス人達からより詳細な情報を得ることに努めていました。このため、連合軍情報部はフランス国内のレジスタンス組織に対して輸送機や爆撃機から無線機や爆薬等の資材をパラシュートで投下するなどして、その活動を強力にバックアップしていました。同情報部は、必要とあれば頑丈な軽飛行機をドイツ軍占領下のフランスに着陸させて、スパイ容疑で身柄拘束の危険が迫ったレジスタンス幹部等を英国まで連れて帰るオペレーションも敢行していました。

 このような状況で、当該軍曹はレジスタンス組織の伝書鳩と思料される鳩を狙撃して、ドイツ軍に関する情報が連合国側に通報されることを阻止しました。この時、レジスタンス組織が伝書鳩に託して連合軍情報部に伝えようとしたのは「自分達が住んでいる地区に新たにドイツ軍の精鋭部隊が配備された」という極めて重要な情報でした。当該地区については、ドイツ軍の図上演習において防御態勢が手薄であると評価され、新たにタイガー戦車等の強力な装備を有する歴戦の精鋭部隊が急遽配備されました。
 ドイツ軍は防諜を図るため、不審な無線波の発信源を探知する特殊車両多数をノルマンディ地区に配備するとともに、妨害電波発信装置等も各所に配置して対応していました。このため、重要情報をより確実に伝えるため、レジスタンス組織は伝書鳩による連絡を選択しました。今回の件は連合軍の上陸作戦(1944年6月6日)の直前であったことから、連合軍側はドイツ軍の重要な配備変更の事実を把握することが出来ませんでした。
 かくして、当該地区正面の海岸に上陸作戦を敢行した連合軍部隊は予想外に強烈なドイツ軍の抵抗を受け、多大な損害を被ることになりました。

※参考
 フランスを占領していたドイツ軍の防諜(対スパイ活動対応)は、戦争が優勢に推移していた時期はかなりルーズだったようです。フランスの大西洋岸の港に根拠地を構えていたドイツ海軍の潜水艦クルー達は、次の出撃までの準備期間を当該軍港付近で過ごすことになりますが、行きつけの居酒屋でこのような会話が交わされていたそうです(登場人物;U-ボート艦長3名 他)。
艦長A:「自分の艦は現在、ドックで整備作業中ですが、次に哨戒に出発する日時が分かると嬉しいのですが・・・。交替で休暇を取る乗員のスケジュールも組み易いですし。」
艦長B:「なんだ、そんなの簡単に分かるよ。」
艦長C:「えっ、本当ですか?」
艦長B:「ああ、店のマスターに聞いてみろよ。貴艦の次の出撃日くらい、すぐに教えてくれるさ。」
(艦長Aが近くを通りかかった店のマスターに)
艦長A:「ねえマスター、本当に俺の艦の次の出撃日を知っているの?」
マスター:(にこりと笑いながら)「A大尉殿の艦は、○月○日に出撃されるとお聞きしています。」
 A大尉が指揮を執るU-ボートは後日、マスターが話した通り、○月○日に哨戒任務のため出港すべき旨の命令を受け取りました。

 U-ボートの乗組員は、危険で過酷な勤務環境のため相当額の各種手当(航海手当、危険手当 等)を支給されていましたので、飲み屋での金払いもよく、マスターにとっては大事なお客さんでした。彼ら潜水艦クルー達の今後の行動予定が分かれば、酒や食材の仕入れも効率的に行えるので、来店した司令部の作戦参謀等が何気なく話した事柄をしっかりと覚えていたと推測されます。無論のこと、当該情報は地元のレジスタンス組織にも伝えられ、連合軍情報部もU-ボート部隊の出撃日を相当程度把握していたと思料されます。
 しかし、連合軍側の空軍部隊(爆撃機)が不十分な戦力しか保有出来ておらず、一方で、U-ボート基地周辺の防空を担当するドイツ空軍の戦闘機部隊はメッサーシュミット戦闘機を自在に操る腕利きのパイロットを多数揃えて盤石の態勢を誇っていました。ドイツ軍将兵は、連戦連勝ということもあり、基地施設外での防諜意識は皆無だったようです。