ご参考(勉強会) 課題&解説
【問題1】
マーク・ロンソンのヒット曲「アップタウンファンク( Up Town Funk )」にヒントを得て、米海軍兵学校(メリーランド州アナポリス)の士官候補生達が「Naptown Funk」というビデオ映像を制作・公開しました。ドローンを使って撮影したアナポリスの美しい街並みから画面はストリートに移り、制服を着用した候補生達が軽快なリズムにのって歌い踊ります。ネットで「Naptown Funk」と入力するとすぐに見つかりますので、視聴の上で所感などを述べて下さい。
< 経緯等 >
当該ビデオ映像「Naptown Funk」は、米海軍兵学校の4年生 Rylan Tuohy氏が中心となって企画・制作した作品です。同氏はハイスクール時代から映像制作に興味があり、禁煙キャンペーンのVTR制作に参画するなどして映像制作のノウハウを身に付けたそうです。
当該作品の制作には米海軍兵学校の士官候補生約60名が参加し、土曜日の午前中に撮影を行いました。その際、アナポリス市から通りを一時閉鎖するための許可を得ています。
< ポイント >
米国の若者らしい明るく朗らかな作品ですが、同作品に込められている大事なメッセージにも着目したいと思います。
①情報発信
米海軍兵学校、通称「アナポリス」といえば米国で知らない人はいない名門校ですが、軍関連施設ということで、どうしても「お堅い」「閉鎖的」といったイメージがつきまといます。制作に携わった候補生達は、兵学校に対するそのような先入観・固定観念を打ち破ることも一つの目標にしていたそうで、代表のTuohy候補生は「在校中の良い思い出が出来た」とその成果を評価しています。海軍兵学校当局は同作品の制作申請を承認していますが、「優秀な人材を陸軍、空軍及び沿岸警備隊の各士官学校と競合しながら獲得する上でも有効」と(密かに)期待していたのかもしれません。
因みに、以前、アナポリスの候補生達が韓流ポップスのヒット曲「カンナム・スタイル」に乗せてビデオ作品を制作・公開した際は、事前に学校側から許可を取っていなかったことから問題になりました。今回の作品は、企画・構想から撮影実施に至るまで兵学校側の許可を得ながら進められたため、大きな混乱もなく多くの視聴者に提供されました。
②地域貢献
米海軍兵学校は東海岸・メリーランド州の州都アナポリスに所在しています。同市は、欧州の清教徒たちが17世紀に入植を始めた時代からの歴史を積み重ねた美しい街並みが特長です。
本作品の制作に参画した候補生達は、兵学校を暖かく見守ってくれている地元のPRに一役買うことも本作品公開の大事な目的の一つであると考えているようです。なお、本年(2016年)1月の豪雪ではアナポリスの街も大雪で大変なことになりましたが、候補生達が自主的に除雪チームを編成し、金曜日の夕方から土曜日・日曜日にかけてシフトを組んで市街地等の雪かきに汗を流したそうです。
③インテグレーション(統合・融合)
米国の各士官学校は相互に候補生を派遣し合い、人事交流を図っています。本作品でも、海軍兵学校の候補生達と共に陸軍、空軍及び沿岸警備隊の士官候補生達が登場しています。海軍の候補生達が歌い踊るシーンの合間に、フライトスーツを着た空軍の女性候補生、おどけた表情のウエストポイント(陸軍)の候補生、床屋でおどける空軍の士官候補生、そして通りを散策する沿岸警備隊の女性候補生が登場します。
各士官学校の候補生達は、フットボールの対抗戦などではライバルですが、同時に、イザという時には力を合わせて戦う仲間でもあります。本作品にも、そのような他の士官学校の仲間達への配慮が窺えます。
※参考1
米国の士官学校といえば、定期的に開催される対抗戦が有名です。特に陸軍士官学校(ウエストポイント)と海軍兵学校(アナポリス)のフットボールの対抗戦は有名で、全米に中継もされています。試合前のセレモニーには陸海軍のOB・OGである「お偉いさん達」も駆け付けて、後輩達にエールを送っています。
試合当日は、ウエストポイントのキャンパスにある建物の屋上には「SINK NAVY」と大書され、アナポリスではそこかしこに「BEAT ARMY」のメッセージが貼り出されています。日本でいえば伝統の一戦と呼ばれる「早慶戦」若しくは「慶早戦」のような一大イベントのようです。
外野が「有事には力を合わせて戦うべき米国陸海軍の士官候補生達がイガミあっていてよいものか」と冷やかすと、両校の候補生達は「いえ、『敵』同士なのは今日だけで、残りの364日は友達ですから」と笑顔で答えるのだそうです。
陸軍士官学校と空軍士官学校のフットボールの対抗戦の様子を写したVTRにも、上記の候補生達の言葉を裏付けるようなシーンが見られました。
試合前の恒例行事として、スタジアムの前で両校のパーカッションチーム(鼓笛隊)が向き合って演奏技術を競い合っていました。イメージとしては、子供達の「はないちもんめ」のような感じで、一方が演奏しながら相手側に歩を進め、後退して元の位置に戻ることを繰り返します。交互に「どうだ、俺たちはこんなに上手いんだぜ!」とアピール合戦をすると、やがて両校の奏者達が入り乱れながら同じ曲を演奏し始めました。
グレー(陸軍士官学校)とブルー(空軍士官学校)の制服が一緒くたになって楽しそうに曲を奏でる様子からは、「ライバルだけれど友達だよね」というメッセージが伝わってきました。
※参考2
ネットワーク環境の整備が進んだ最近では、米国の陸軍士官学校と海軍兵学校の伝統の一戦にも新たな動きが見られます。その一つが「ビデオメッセージ合戦」で、ユーモアたっぷりに相手校をこき下ろします。海軍兵学校側は「私達海軍軍人は、子供が生まれたら船の玩具をあげるんです( We give a ship. )」と、マドロス風の制服をスマートに着こなしてアナウンスします。
陸軍士官学校は、これを受ける形で返信用メッセージを作ります。まず海軍兵学校のVTR(「We give a ship.」)が流れますが、やがて映像がカラーからモノクロに変わり、そして「ブチっ!」と映像が途絶えます。次に、画面には迷彩服を着た陸軍軍人が登場します。ヒゲが濃く、いかにも無骨そうなその軍人は「子供に船の玩具?」「そんなもんで子供が喜ぶものか!」と吠えます。そして、「俺たち陸軍の軍人は、ガキが出来たらトラックの玩具をやるんだ」と、勝ち誇ったような表情でトラックの玩具を振り回します。
当該返信VTRについては、ウエストポイント側が「爽やかさでは海軍さんにはかなわない」ことを冷静に判断し、敢えて汗臭さ、泥臭さを前面に押し出す戦略を採用したように思料されます。独立戦争以来の幾多の戦いから得られたであろう「軽々に相手と同じ土俵に上がってはいけない」という「戦訓」が活かされているのかもしれません。
時の最高権力者になって知恵を絞ってみるのも面白いかもしれません。是非チャレンジしてみて下さい。
【問題2】
< 状況 >
貴方はドイツ第3帝国(ナチスドイツ)の最高権力者です。1944年6月6日、米英軍を中心とした連合軍部隊がフランス北部のノルマンディ海岸に上陸作戦を敢行してきました。ドイツ軍は同地方の海岸線に大型砲を格納したトーチカなどの防御施設を設置しており、当該施設に拠るドイツ軍守備隊は精一杯の防御戦闘を行いました。しかしながら連合軍上陸部隊は、激しい艦砲射撃と空爆に援護されつつ、ドイツ軍の防御ラインを突破して各所に橋頭堡を確保し始めました。このまま連合軍の橋頭堡が拡大すると、連合軍は戦車、大型火砲等を揚陸して戦力を整えてしまい、一気にフランスの内陸部、更にはドイツ本土まで攻め込んで来る虞があります。ノルマンディ地区の防衛作戦を統括するドイツ軍司令官は、海岸線から離れた地点で待機する隷下機甲部隊の動員の許可と隣接するカレー軍管区からの増援を要請してきました。
< 経緯等 >
連合軍の大陸反攻作戦に関してドイツ側は、その上陸箇所が「英国本土から至近の距離にあり、上陸作戦後は直ちにドイツの心臓部であるルール工業地帯へ攻め込むことが出来るカレー地区」なのか、それとも「上陸作戦に適した海岸が広がるノルマンディ方面」なのか、極めて難しい判断を迫られていました。ドイツ軍は、前者(カレー地区への進攻)の可能性が高いとの判断から、海岸線の防御設備(トーチカ 等)の建設については、ノルマンディ海岸より優先してカレー地区へ資源(セメント、鉄筋等の建設資材)を投入してきました。同様に、海岸線の後背地で連合軍の着上陸作戦に備える予備兵力についても、ドイツ軍はカレー地区に機甲部隊等をより手厚く配備する態勢をとっていました。
< 要対応事項 >
連合軍がノルマンディ海岸に上陸作戦を開始したとの一報を受け、貴方は「ノルマンディ地区に上陸した連合軍部隊を英仏海峡に追い落とすべく、カレー地区防衛のために配備している機甲師団等を直ちにノルマンディ地区に派遣するべきか」について決心しなければなりません。しかし、連合軍の本当の狙いはカレー地区への進攻であり、ノルマンディ海岸への上陸作戦は、同地区にカレー軍管区の精鋭部隊をおびき寄せるためのダミー(陽動作戦)という可能性も払拭出来ません。ノルマンディ海岸への上陸作戦がダミーであるか否かを確認するために、貴方はドイツ軍にどのような情報を収集するように指示すべきでしょうか。
< 結論 >
連合軍の主力艦(戦艦、巡洋艦)が英国本土の海軍基地等で待機しているかどうかを確認させる。
< 解説 >
連合軍によるノルマンディ地区への着上陸作戦がダミーである場合、同軍は主攻正面であるカレー地区に攻勢を仕掛けるために相当程度の兵力を英国本土に待機させているはずです。連合軍が英国本土に「ノルマンディ地区に進攻した陸海空軍部隊と同程度規模の戦力」プラス「相応の予備兵力」を残置しているようであれば、「ノルマンディ上陸作戦はダミー」説は有力ということになります。
- 検証対象① = 連合軍の陸軍部隊 -
当時の連合軍は、ドイツ軍による航空偵察、電波情報収集及び国内に潜入したドイツ情報機関エージェント(スパイ)の諜報活動を警戒して様々な欺瞞行動をとっていました。具体的には、連合軍はノルマンディ地区への着上陸作戦実施後も、実在しない軍団や師団の司令部を英本土各所に設置して業務連絡等の無線交信を行い、あたかも大陸反攻作戦第2弾の準備を進めているかのように振る舞っていました。
また、英国本土に集積された戦車や軍用トラックの数を実際より多く見せるため、駐屯地や演習場のやや奥まった所に本物の戦車とともにゴム製のニセ戦車を並べたり、廃車予定のトラックを綺麗に塗装し直したりする欺瞞工作も盛んに行っていました。いかにも本物の戦車等が置かれているように見せるために、連合軍部隊はゴム製戦車とともに並べた本物の戦車を時々動かすなどの「演技」を繰り返していたと伝えられています。
更に、連合軍の地上部隊は、駐屯箇所や規模、部隊行動状況等を秘匿するため、或いはドイツ空軍機による空爆を回避するために、英国本土内に広く分散配備されていました。このため、ドイツ軍が航空偵察や電波情報収集、更にはスパイによる現地偵察を鋭意実施したとしても、連合軍地上部隊の正確な状況を把握することは極めて困難でした。
- 検証対象② = 連合軍の空軍部隊 -
空軍部隊は基地(Air Base)を根拠地として作戦行動を実施することから、ノルマンディ地区へ進攻してから暫くの間、連合軍の航空部隊は英国本土の基地から出撃を続けていました。航空部隊は機動性が高いので、ノルマンディ地区に上陸した地上部隊へのエアカバー(航空支援)を行っている連合軍の飛行隊が(同じ英国本土の基地から)カレー地区への進攻作戦に加わることは容易でした。よって、英国本土に根拠地を置いて航空作戦を展開している連合軍航空部隊の状況をフォローしたとしても、カレー地区への着上陸作戦の兆候を見つけることは困難であると思料されます。
- 検証対象③ = 連合軍の海軍部隊 -
ドイツ軍は、連合軍の上陸作戦を阻止するため、ノルマンディやカレーの海岸線付近に堅固なトーチカを多数設置して待ち構えていました。それらのトーチカには、かつてドイツ海軍の大型艦に装備されていた長射程砲なども据え付けられており、上陸部隊を乗せた連合軍の輸送船などが不用意に海岸線に近づくと当該長射程砲に狙い撃ちされかねませんでした。また海岸線付近には、波打ち際の砂浜を直接狙える位置に無数の機関銃用トーチカや塹壕も設置されていたので、これらを無力化しておかないと、上陸用舟艇で海岸にアプローチした連合軍の歩兵部隊は(ドイツ軍守備隊の)機関銃の恰好の標的になりかねません。
このため、連合軍の海軍部隊は、上陸作戦に先駆けて戦艦、巡洋艦等の主砲により海岸付近に設置されたドイツ軍のトーチカ等の防御陣地を徹底的に破壊しようとしました。1944年6月当時、連合軍は米英海軍を中心に相当数の大型艦船(戦艦、巡洋艦)を英国本土に待機させ、上陸作戦当日はノルマンディ海岸の沖合からドイツ軍守備隊に対して猛烈な艦砲射撃を浴びせました。
上陸作戦が成功し、連合軍地上部隊が橋頭堡を拡大する形でフランスの内部へ進攻していくと、連合軍の大型艦船が艦砲射撃を行う機会はほぼなくなります。この時点で、連合国を脅かし得るドイツ海軍の大型艦船(戦艦、巡洋戦艦 等)は、連合軍の航空部隊による空襲を避けるためにドイツ本国の軍港やノルウェーのフィヨルドに息をひそめているのがやっとという状況でした。このため、連合国の海軍としては、欧州での活躍の場が無くなった大型艦船(正規空母、戦艦、巡洋艦)を日本軍との激戦が続く太平洋戦域に移動させることになります。この結果、英国本土の軍港等で待機する連合軍の戦艦や巡洋艦の数は大幅に減少することになります。
戦艦等の大型艦船とそれらを護衛する駆逐艦等が英国本土から太平洋戦域に移動すれば、英国内の軍港等では上陸して飲み歩く乗員達の数もめっきり減ることになります。大型艦船を上空から隠すことは容易ではありませんし、水兵さん達がめっきり少なくなって売り上げが減ってしまった飲食店経営者の嘆きは、やがてドイツ軍スパイの耳にも届くことが推認されます。
連合軍としては、ドイツ軍参謀本部に「カレー地区への進攻作戦もあり得る」と思い込ませるために、暫時、米英海軍の戦艦等大型艦船を欧州近辺で待機・遊弋させておくという選択肢もありました。しかし、太平洋戦域では、太平洋上の島嶼に立て籠もる日本軍の存在が当該陽動作戦を許さないような状況になりつつありました。
戦争後半になると、米海兵隊の上陸作戦に先立って行われる米海軍戦艦・巡洋艦部隊による艦砲射撃と航空部隊による空爆のダメージを極小化するため、日本軍は島の奥まった地区に堅牢な地下防御陣地を設営して対抗するようになりました。日本軍守備隊は、蟻の巣のように地下に張り巡らせたトンネルでトーチカや塹壕を繋ぎ、艦砲射撃や空爆の間はそれらトンネルの中で身を潜めていました。艦砲射撃と空爆で海岸線近くの日本軍守備隊は壊滅したものと思い込んだ米軍は、上陸して直ぐに、艦砲射撃と空爆から生き残った日本軍守備隊による猛烈な反撃を受け、想定外の損害を被るようになりました。
このため、米軍としては日本軍の防御陣地に対してより激しい艦砲射撃を加える必要に迫られるようになりました。太平洋戦域で厳しい戦いを強いられている米軍に加勢するべく、ノルマンディ上陸作戦を終えた米英海軍の主力艦隊はパナマ運河やスエズ運河を通って太平洋へと移動していきました。
※参考1
ドイツ軍は、第2次世界大戦が始まる前後から英国内に数十人規模のスパイを送り込んでいました。しかし、派遣前のスパイ教育が必ずしも洗練されたものではなかったことから、大半の者は潜入して直ぐに英国の諜報機関や治安機関に逮捕・拘禁されていました。
戦時のスパイ行為が発覚した場合、エージェントは原則として極刑に処されるので、それらドイツ軍のスパイ達は「ダブルエージェント(二重スパイ)になるか、それとも死刑か」の二者択一を迫られることになりました。逮捕されたドイツ軍スパイの大半は二重スパイになることに同意して、英国の諜報機関の管理下に置かれることになりました。二重スパイとなった「元」ドイツ軍スパイには専属のサポートチームが付いて、住居を含む生活環境が保障されました。
当該サポートチームは、管理下に置く二重スパイにドイツから携行してきた無線機を設置させて、連合軍に関するニセ情報をドイツに送信させました。当該ニセ情報は連合軍総司令部と英国諜報機関が念入りに調整した内容で、ドイツ軍側を信用させるために、影響が比較的少ない本当の情報も適宜混ぜて二重スパイに打電させていました。
連合軍が北アフリカへの上陸作戦を準備していた際、連合軍の輸送船団が集結する港町に潜入していた二重スパイは難しい状況に追い込まれました。連合軍による上陸作戦が実施されれば、事前に何らの情報も受信していなかったドイツ軍情報部は「英国本土の○○港に張り付けていたスパイは何をしていたのか」と不審に思うことが想定されます。
そこで英国の諜報機関は、管理下の二重スパイに「体調が悪化した。出来るだけ我慢したが、我慢の限界を超えたので受診したところ、医師から入院を指示された。」と打電させました。英国諜報機関は、念には念を入れて、同二重スパイには「潜入時に持参した活動資金だけでは治療費をカバー出来そうもないので、英ポンドを送ってくれ」と追加連絡させました。
この事前工作が奏功して、当該港町に配置された二重スパイはドイツ軍情報部に怪しまれることなく、終戦まで偽情報を送信し続けました。
※参考2
大規模上陸作戦においては、上陸して内陸部に進攻する部隊への補給や増援部隊の輸送、負傷者等の後送という新たな課題・業務が発生します。上陸した陸上部隊等に安定的に補給を続けるためには、上陸地域において港湾設備が整った港町を掌握する必要があります。
ノルマンディ地区には、西端のシェルブールの他には小規模な地方港と漁港しかなく、数十万名規模の地上部隊を支えるための膨大な補給物資を揚陸出来るような状況ではありませんでした。ドイツ軍参謀本部がノルマンディ地区への上陸作戦について「陽動作戦の可能性あり」と判断したのも、同地区には十分な揚陸機能を有した港湾施設が少なかったという事情がありました。
ノルマンディ地区に上陸した連合軍は、同地区に大規模埠頭が無いことから、予め大型のバージを多数用意して英国本土に秘匿していました。連合軍は、当該バージを砂浜の海岸線に垂直に繋いで人工の埠頭として活用し、当面必要な物資等を揚陸させることが出来ました。しかしながら、当該人工埠頭はあくまでも当座をしのぐための仮の設備であって、連合軍としては可及的に速やかにシェルブール港を占領・確保する必要がありました。
連合軍側の事情を分かっていたドイツ軍は、かなり以前から同港の防御態勢を強化していました。連合軍による揚陸作業開始を出来る限り遅らせるために、港湾施設の要所に爆薬を設置するなどして、それら諸設備を速やかに破壊するための準備も怠りませんでした。
ドイツ軍守備隊の司令官は、連合軍に包囲された際、妻帯者である兵士は速やかに連合軍側に投降させ、残った将兵で徹底抗戦する方針を明確にして防御戦に臨みました。シェルブール港を巡る攻防戦は連合軍側の予想を超える激戦となりましたが、米英海空軍の圧倒的な火力支援もあり、やがてシェルブール港は連合軍の手に落ちました。